(和歌山)日前神宮・國懸神宮を訪問。紀国一宮で貴志川線・三社巡りの一社。ご神体が鏡である伊勢神宮に並ぶ名社(α7Ⅲ)

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はじめに

和歌山・貴志川線の沿線に鎮座する、日前神宮・國懸神宮を訪問しました。

伊勢神宮と同様の鏡を祀る神社です。
そのため、神社としての位も高く紀国一宮にも列しています。

敷地内の2社が対になる珍しい神社です。
内部の写真が公開できないのは残念ですが、ぜひご覧ください。

祭神

日前神宮

主祭神

日前大神(ひのくまのおおかみ)

日像鏡(ひがたのかがみ)。神代における鏡のこと。
伊勢神宮内宮で祀られる八咫鏡と同等とされます

相殿

思兼命(おもいかねのみこと)

神話にて天照大御神が岩戸隠れをした際に、天の安河原に集まった神々に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたされています。
また、天孫降臨で邇邇芸命に従って天下ったとされています。

石凝姥命(いしこりどめのみこと)

神話にて天照大御神が岩戸隠れをした際に八咫鏡を作ったとされます。
当神社のご神体である日像鏡・日矛鏡(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)は八咫鏡に先立って制作されたとされます。
また、天孫降臨で邇邇芸命に従って天下ったとされています。

國懸神宮

主祭神

國懸大神(くにかかすのおおかみ)

日矛鏡(ひぼこのかがみ) 。神代における鏡のこと。
伊勢神宮内宮で祀られる八咫鏡と同等とされます

相殿

玉祖命(たまおやのみこと)

神話にて天照大御神が岩戸隠れをした際に八尺瓊勾玉を作ったとされます。
また、天孫降臨で邇邇芸命に従って天下ったとされています。

明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)

天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同一視される神様で、製鉄、及び鍛冶の神とされます。
(鍛冶が鉄の色でその温度をみることで片目を失う職業病があったことから、とされます)
神話にて天照大御神が岩戸隠れをした際に、刀斧・鉄鐸を造ったとされます。

鈿女命(うづめのみこと)

神話にて天照大御神が岩戸隠れをした際に、セクシーな踊りを踊ることで八百万の神々を大いに沸かせた、とあります。それが気になり、天照大御神が岩戸から顔を覗かせたとされます。
また、天孫降臨で邇邇芸命に従って天下ったとされています。

社格・由緒

日前神宮・國懸神宮のホームページ(http://hinokuma-jingu.com/index.html)をご紹介します。

社格等

式内社 名神大社
紀伊国一宮

旧社格 官幣大社

現在 単立神社(神社本庁には属していない)

由緒

創建の由緒

神代、天照大御神が天の岩窟に御隠れになられた際、思兼命(おもいかねのみこと)の議(はかりごと)に従い種種の供物を供え、天照大御神の御心を慰め和んで頂くため、石凝姥命(いしこりどめのみこと)を治工とし、天香山(あめのかぐやま)から採取した銅を用いて天照大御神の御鏡(みかがみ)を鋳造したとされます。

天孫降臨の際、三種の神器とともに両神宮の御神体(鏡)も副えられ、神武天皇東征の後に、紀伊國造家の肇祖に当たる天道根命(あめのみちねのみこと)が紀伊國造(きいのくにのみやつこ)に任命され、二つの神鏡を以て紀伊國名草郡毛見郷の地に奉祀せられたのが当宮の起源とされています。

崇神天皇五十一年には、名草郡濱ノ宮に遷宮します。また、垂仁天皇十六年には名草郡萬代宮である現在の場所に遷幸され、永きに渉り鎮座の地として今に至っています。

なお、現在地にはかつて伊太祁曽神社が祀られていた、とされます。

祭祀について

神社が創建されて以来、天道根命の末裔である紀氏(きいし)によって歴代奉祀され、両神宮の祭神が三種の神器に次ぐ宝鏡とされていたために、伊勢の神宮に次いで朝廷からの崇敬が篤かったとされます。

延喜式が制定された際には両社とも明神大社に列し、祈年(としごい)、月次(つきなみ)、相嘗(あいなめ)、新嘗(にいなめ)の祭祀には天皇から幣帛(御供)を賜るほどであったとされています。

訪問記

入口

日前神宮・國懸神宮の入口です。
社号標にも2社分が記載されていますね。

白い橋を渡ります。

鳥居です。

手水舎

手水舎です。

コロナ対策がされていました。

神社への入口

こちらから入って行きます。

突き当りの左と右でそれぞれ神社が鎮座しています。

写真撮影が禁止されているため、これ以上は不可です。
ホームページ(http://hinokuma-jingu.com/index.html)に掲載されている写真からご紹介します。

こちらが日前(ひのくま)神宮です。

灯篭です。

こちらが國懸(くにかかす)神宮です。

灯篭です。

摂社・末社

こちらも名前と祭神のみ紹介させて頂きます。

天道根神社

祭神

天道根命(あめのみちねのみこと)

由緒

天孫降臨の時、瓊瓊杵尊に仕え、神武天皇二年春二月、紀伊國を賜り初代國造職に任命されたとされます。紀氏は天道根命の末裔にあたるようです。

中言神社

祭神

名草姫命(なぐさひめのみこと)、名草彦命(なぐさひこのみこと)

由緒

名草彦命は、天道根命を初代國造にして五代目にあたり、名草姫命と夫婦神として奉祀されています。名草郡の地主の神として崇敬され、『紀伊続風土記』には名草郡だけで中言社と呼ばれた神社が十二社もあったそうです。

深草神社

祭神

野槌神(のづちのかみ)

由緒

伊邪那岐・伊邪那美の2神の御子神とされます。
草や野に関するすべてを司り、守護する神であり、古来より神の使いとしての「牛」と信仰を結び、野草を食むことからくさ(人体の腫物)を食むという「病気平癒」の御神徳があるとされます。

邦安神社

祭神

松平頼雄命(まつだいらよりかつのみこと)

由緒

紀州藩支藩の伊予西条藩の世継ぎだったが、お家騒動で廃嫡の憂き目にあうと不遇の生活を強いられていたそうです。そして、紀州藩々主で従弟であった徳川吉宗公は頼雄公を紀州へと移され、ここに紀州徳川家と頼雄公の御縁が始まったそうです。その後、吉宗公が将軍となり紀州を去ると再びその地位を追われることになった頼雄公は、51歳で非業の最後を遂げらたそうです。

やがて和歌山城内に頼雄公を祀る神社が創建され祀られていたようです。

市戎神社

祭神

蛭子神(ひるこのかみ)

由緒

『旧記』(くき)によると、市戎神社はかつて境内の外にお祀りされていた境外社で、江戸時代の享保6年に境内に御遷座され日前宮の末社となったようです。この社の近くで「市」が立ち非常に賑わったようです。

松尾神社

祭神

大山咋神(おおやまくいのかみ)、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)

由緒

京都洛西の総氏神である松尾大社から分社されたようです。
醸造の祖神として特別な崇敬を受けているようです。

御朱印

日前神宮・國懸神宮の御朱印です。
両社の名前がスタンプ内に描かれていますね。

社務所で頂きます。

住所・場所

地図・住所

〒640-8322 和歌山県和歌山市秋月365

行き方

日前宮駅に地図がありました。いや、すぐですね。

駅を降りてまっすぐ進みます。

すると大きな道路に出るのですが、右斜め前を見るとすぐです!

さいごに

和歌山県に鎮座する、日前神宮・國懸神宮をご紹介しました。
紀伊国一宮であり、わかやま電鉄貴志川線・三社巡りの一社でした。

社地における撮影は禁止されているため、写真をお見せできないのが残念です。
鳥居をくぐって突き当りの左右にそれぞれ神社が祀られており、1境内地に2社が並立して建立されいているとても珍しい神社です。

ぜひ、ご自分の目で確かめてみてください。

皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デル株式会社

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