(和歌山)玉津島神社・鹽竈神社を訪問。小山からの景色が絶景!聖武天皇が気に入り守戸設置を命令。安産のご利益も(α7Ⅲ)

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はじめに

和歌山県の玉津島神社・鹽竈神社を訪問しました。

和歌の里とも言われる、和歌の浦がとてもキレイな景色です。
そしても、一番の訪問目的が安産祈願。
鹽竈神社が安産ご利益があるそうです。

どのような神社になっているのでしょうか。
そして、どのような景色が見れるのでしょうか。

では、玉津島神社・鹽竈神社を見ていきましょう!

祭神

玉津島神社

稚日女尊

稚日女は天照大御神の幼名とされます。
神戸の生田神社で祀られています。

なお、日本書紀では神代記に登場します。

高天原の斎服殿(いみはたどの)で神衣を織っていた際に、素戔嗚尊が馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込みます。稚日女尊は驚いて機から落ち、持っていた梭(ひ)で身体を傷つけて亡くなった、と記載されています。

息長足姫尊

第14代天皇・仲哀天皇の皇后である、神功皇后です。
ある書では、以前の女帝(天皇)だったとされています。

海外出兵された際、玉津島の神(稚日女尊)が非常な霊威をあらわされたため、皇后は稚日女尊を篤く崇拝していたとされます。

Wikipediaでは神功皇后が創建したため、玉津島神社で祀られるようになった、とされます。

衣通姫尊

第19代允恭(いんぎょう)天皇の后で大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことから名前の由来になったとされます。和歌に優れていたそうです。

紀伊の国第58代光孝(こうこう)天皇の夢枕に衣通姫が現れて和歌の浦の歌を詠まれたため、光孝天皇により合祀されたそうです。

明光浦霊

あかのうらのみたま
聖武天皇により合祀されました。

風光佳絶な玉津島は、聖武・称徳・桓武天皇にこよなく愛でられ、三帝はこの地を訪れ滞在されました。玉津島行幸と言われたそうです。

特に聖武天皇は当社背後の奠供(てんぐ)山(玉津島山の1つ)に登り海の眺望に感動し「明光浦(あかのうら)」と名付けました。玉津島社に「明光浦霊」を祀り、この美しい景色が荒れることのないよう末永く守れと命じたそうです。

鹽竈神社

鹽槌翁尊(しおづちのおじのみこと)

古事記「海幸彦・山幸彦」の神話で大きな役割を果たす「鹽稚神(しおつちのかみ)」です。

鹽稚神の助言により、山幸彦は釣り針を見つけ、竜宮で海神の娘・豊玉姫(とよたまひめ)と出会い結婚します。そして姫は安産により御子を授かりました。

この故事と潮の満ち引きが出産に関わることから、安産・子授けの神と崇敬を集めています。

また、尊は全国を回り13か所で製塩の法を伝えたそうで、同地はその9か所目で、大正後期まで製塩が盛んに行われていたとのことです。

祓戸大神四座(はらへどのおおかみよざ)

瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)、速開都比売神(はやあきつひめのかみ)、速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)の四座。すべての罪汚れを祓い清める神です。

鹽竈神社は、和歌の浦の入江にある、かつて「輿の窟(こしのいわや)」と呼ばれた岩穴に鎮座しており、もとは玉津島社の祓(はら)い所だったそうです。

社格・由緒

玉津島神社・鹽竈神社のホームページ(http://tamatsushimajinja.jp/index.html

社格

国史見在社・旧村社

※鹽竈神社は大正6年に玉津島神社の祓所から神社になったそうです。

由緒

玉津島神社

創建の由緒

玉津島社の創立は上古(じょうこ)ときわめて古く、社伝には「玉津島の神は『上つ世(かみつよ)』から鎮まり坐(ませ)る」とあります(明示なし)

Wikpediaでは、神功皇后が紀伊半島に進軍した際、玉津島神の加護を受けたことから、その分霊を祀ったのに始まると記載されています。

玉津島の由緒

玉津島一帯は玉出島(たまでしま)ともいわれ、いにしえ、満潮時には6つの島山(玉津島山)があたかも玉のように海中に点在していたとされます。そして山部赤人の玉津島讃歌に「神代より然ぞ貴き玉津島山」と詠まれた如く、風光明媚な神のおわすところとして崇められてきたようです。

神亀元年(724年)2月に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸してその景観に感動したため、この地の風致を守るための守戸を置き、玉津嶋と明光浦の霊を祀ることを命じた詔(みことのり)を発したそうです。
ひょっとすると、こちらが創建のきっかけなのかもしれません!?

和歌の浦

2010(平成22年)8月に、玉津島神社と周辺約90万平方メートルが国指定名勝「和歌の浦」に指定されたそうです。

玉津島神社に面する海は、和歌の浦干潟です。

理由は・・・

  • 良好な風致景観を今に伝えている
  • 潮の干満がもたらす海面の移ろいや松樹に彩られた砂浜・岩崖などを背景として、古代から近代にかけて長い時間の経過の下に加わった寺社の建造物群が点綴する海の名所、および霊地と呼ぶにふさわしい風致景観である。観賞上の価値が高い

鹽竈神社

創建について

大正6年(1917年)、鹽竈神社は玉津島神社の祓所から神社になったそうです。海産物、安産の神として信仰されており、神体の塩槌翁尊は輿の窟という岩穴に鎮座します。

輿の窟(こしのいわや)

「浜降り神事(はまくだりしんじ)」の際は、天野丹生明神(あまのにうみょうじん)の神輿が「輿の窟」で清め祓いされ、翌日玉津島社に渡るそうです。
(神輿が一晩奉置されるため、輿(こし)の窟と呼ばれるそうです)

岩肌は曝れた木理のような観を呈することから伽羅岩と呼ばれ、祠は、海風により自然に形成された洞窟となっています。

昔の方は、この伽羅岩と女性の子宮を結び付けていたのかもしれません。そこから、安産・子授けの信仰やご利益に繋がったのだと想定しています。

訪問記

玉津島神社

入口

玉津島神社の鳥居です。

こちらは、玉津島神社の大鳥居です。

狛犬がいらっしゃいます。

大鳥居正面です。

鳥居の傍には、小野小町が袖をかけたとされる塀があります。

拝殿まで

手水舎です。

根上りの松(鶴松)です。
大正十年に和歌山市高松からこちらに移転・保存されているようです。

以前に池があった場所かもしれません。
何もない空間でした。

拝殿

拝殿です。

拝殿の中です。こちらで参拝します。

中にはお神輿が飾られていました。

本殿

下からは木や草に隠れて見えませんでした。

奠供山に登る途中に屋根だけ見れました。

こちらも・・・。

奠供山(てんぐやま)

明治から大正初期ではエレベーターがあったとか・・・。
(夏目漱石もエレベーターで昇ったそうです)

登山

拝殿近くに案内板がありました。

紀州藩の儒学者、仁井田好古選文による碑だそうです・・・。
何が書いてあるかさっぱりでした・・・。

奠供山の入口です。禁煙が歌われています。

階段を登って行きます。
山頂まで石畳が引かれており、そう時間はかかりませんよ。

頂上らしき場所に到着しました。
凡そ、15分もあれば登れる小山です。是非、登ってみてください!!

奠供山からの景色

頂上になります。平面になっています。

ここにも石碑がありました。
こちらの方は、下にあったものよりも何が書いてあるか読めません・・
(天皇の行幸の地を記した『望海楼遺祉碑』で、明治時代に麓から移されたそうです)

さあ、景色です。とてもキレイです。

訪問時が夕方だったため、夕日がキレイでした。

街並みの景色もいいですね!

摂社・末社

金高稲荷社

玉津島神社の鳥居の近くに鎮座しています。
入口の鳥居です。

社殿です。

鏡山

鏡山は奠供山と並んで立つ小山です。
丁度、鹽竈神社の上に立っていますので、登ってみてください。

登山道

鏡山への道です。階段になっています。

ここまでくるともうすぐです。
とは言っても、5~10分程度です。

最後に少しだけ階段を登れば、美しい景色が待っています。

鏡山からの眺め

妹背山方面です。

不老橋、あしべ橋です。

鹽竈神社

鹽竈神社入口

鹽竈神社の入口です。

丁度、鏡山の下になります。

鹽竈神社の鳥居です。

手水舎

鹽竈神社の手水舎です。

小さな石の水受けになっています。

鹽竈神社の社殿

さあ、鹽竈神社の内部に入って行きましょう。

岩場に作られているため、洞窟のようになっています。

こちらは、和合の松というそうです。
参拝時はよく分からなかったのですが、確かに木が生えていますね。

祭壇が2つに分かれています。

賽銭箱側です。

お酒が供えてあります。

不老橋

鹽竈神社の目の前に不老橋があります。
1907年の明治40年時点で50-60年経過とあります。江戸時代に建てられたようです。

平成27年に欄干の一部が破損したため修復されています。

御朱印

玉津島神社の御朱印です。

鹽竈神社の御朱印です。

住所・行き方

住所

〒641-0025 和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目4−26 玉津島神社

行き方

和歌山バス「玉津島神社前」下車すぐです。
和歌山駅からバスに乗車しましょう。

さいごに

和歌の浦に鎮座している、玉津島神社・鹽竈神社をご紹介しました。
鹽竈神社は明治時代に玉津島神社の祓所から神社になったとのことです。

神社から見える景色、とても素晴らしいものがありました。
もし 玉津島神社・鹽竈神社を訪問する機会があれば、2つの山に登ってみてください。
それぞれ、10~15分程度で登ることができます。

聖武天皇が愛したとされる景色をご覧ください!

皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デル株式会社

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