(大阪)生國魂神社を訪問。一宮ではないですが大阪で最も古く由緒のある神社。正月限定の干支朱印も必見(RX100 M7)

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はじめに

天王寺七坂巡りを行いました。

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初めの真言坂の突き当りに鎮座しているのが生國魂神社です。

一宮神社ではありませんが、大阪で最も古くに創建された神社と伝えられています。
社殿は生國魂造とされ、とても独特な様式です。

お正月限定の御朱印も必見。

では、生國魂神社に上がってみましょう。

祭神

主祭神

生島大神(いくしまのおおかみ、生嶋大神)
足島大神(たるしまのおおかみ、足嶋大神)

日本の国土そのもの、とされます。
御神徳は、生成発展・五穀豊穣・健康長寿・縁結び・社運隆昌・家内安全とされます。

古代の大阪で土砂が堆積していくことで、大小の島々が繋がり陸地を形成したことと関係があるものと考えられています。また、両柱は、生國魂神、咲國魂神と同一の神様と考えられています。

こちらは私見ですが、創建の由緒に神武天皇が描かれていることから、神武天皇と対立し征服された人々、とも考え得られます。

八十島祭

『延喜式』神名帳では生島巫が神祇官西院で生島神・足島神の2座を祀ると記されており、平安京の宮中で「生島巫(いくしまのみかんなぎ)」という専門の巫女により奉斎される重要な神々であった。これを八十島祭と言います。

『文徳実録』には、嘉祥3年(850年)9月に斎行されたとされます。以後、400年に渡り御代初め毎の国家祭祀として斎行されてきたそうです。

※坐摩神社も同様に専門の巫女に祀られていたそうです

大阪 一宮 坐摩神社 陶器神社
大阪 坐摩神社 行宮

相殿神

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

日本最古の神社とされる、奈良・大神神社の祭神です。

『古事記』では御諸山上坐神(みもろのやまのうえにますかみ)、美和之大物主神(みわのおおものぬしのかみ)とされている神様です。

社格・由緒

難波大社 生國魂神社のホームページ(https://ikutamajinja.jp/

社格

式内社(名神大社)
旧社格は官幣大社

現在は神社本庁の別表神社

由緒

創建の由緒

古代の大阪

難波(浪速)と呼ばれた古代の大阪は、南北に連なる台地より成り、三方を海に囲まれた奔流の打ち寄せるところだった、と言われています。そこが現在の上町台地です。その上町台地周辺の海上には大小さまざまな島が浮かんでいたそうです。

大和川と淀川が上町台地の北端で交わり大河となり、上流から運ばれる砂礫(されき)が堆積し砂洲となり次第に島々を形成。これが難波の「八十島」とされます。

これら島々が陸地となり現在の大阪の地形の元になったそうです。
(現在の堂島、福島、弁天島など島のつく地名が多いのはその名残)

台地が生成されるにいたる壮大で神秘な大自然の様子が「八十島神」と称えられ、古語拾遺には「大八洲之霊ー日本列島の御神霊」と記されます。

創建のエピソード

神武天皇が宮崎を出発ののち、難波津に到着した際、現在の大阪城を含む一帯(のちの石山崎)に日本国の御霊(みたま)である生島大神と足島大神を祀ったのが創祀と伝えられているそうです。

日本の歴史への登場

『日本書紀』の孝徳天皇の条に「生國魂神社」と記されているそうです。

ここでは、「生國魂社の樹」が大化の改新の詔(みことのり)がなされた難波宮の造営にあたり生國魂神社の樹木を用いたとされます。

また、平安時代の『延喜式』には、「難波坐生國咲國魂神社(なにわいますいくくにさきくにたまじんじゃ)」二坐と記されていたようです。

社地の遷座

天正11年(1583年)に豊臣秀吉が大阪城築城のため、社領を寄進して社殿を造営し、 天正13年(1585年)に現在の鎮座地に遷座したようです。

生國魂祭

大阪三大夏祭りの1つです。

大阪の夏祭りは生國魂祭に始まり、大阪天満宮の天神祭、住吉大社の住吉祭で締めくくられる、とされています。「陸」の生玉、「川」の天神と称されます。

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明治から昭和初期にかけては、2000名を超える渡御列があり、旧鎮座地である大阪城に向かう道中が賑わったとされます。

訪問記

参道

生國魂神社の参道

ここから生國魂神社の参道です。

参道には生國魂神社のエピソードが書かれた看板がありました。
折角なので掲載します。

その1 参道の両脇には多数のお店が並んでいたそうです。

その2

その3 書かれている灯篭は北門近くの記事に掲載しています。

その4 お祭りに関して書かれています。

参道脇の公園

参道の両脇には公園があります。
正面の左側には公園があります。微妙に下がってますね。

井伊直弼が打たれたあとに大阪で挙兵をしようとした方この場所で自刃されたそうです。

右にも公園があります。
こちらの方が下がっています。こちらの池の方が深かったのだと思います。
(※精鎮社がここに鎮座していた、とされています)

奥には幼稚園がありました。

生國魂神社の鳥居と社殿まで

正面の鳥居

社号標と鳥居・灯篭です。ダイナミックな配置です。
とても広くて大きいです。

鳥居のアップです。

手水舎

鳥居をくぐると、すぐに手水舎があります。

龍が水を出してくれています。

参道

折れ曲がっていました。

拝殿と本殿

拝殿

拝殿の正面です。

お正月以外はこのような形になっています。

さあ、参拝しましょう。

訪問した際には、結婚式が執り行われていました。
個人的に神前式も憧れました。

参拝箇所を右から撮影しました。

逆側からの写真です。

真横からの写真です。

少し引いて拝殿を右から見てみました。
真四角に本殿を取り囲んでいます。特徴的ですよね。

生國魂造
ここにしかない特徴的な造りです。桃山文化の遺構を伝えたもの、とされているそうです。本殿・幣殿の屋根が一つの流造り、千鳥破風、すがり唐破風、千鳥破風の三破風を据えた造りになっています。

破風
破風とは、屋根の妻側の端の部分のことを指すそうです。

本殿

少し左側からの本殿です。
はっきり見えません。

本殿の写真です。中々本殿が撮影できませんでした。

こちらの方が分かりやすいでしょうか。

もう1枚、少し離れた場所からの拝殿と本殿です。

摂社・末社群の地図

北門と灯篭に、社号標です。
真言坂を登った場所にあります。

もう1つ、北門の写真です。

八軒家にあったとされる灯篭です。大きくて立派ですね。
北門をくぐって右側にあります。

こちらは、摂社・末社の配置図です。
北門付近に集まっていることが分かります。

こちらは、精鎮社近くに建立されている鳥居です。
とても立派な鳥居です。

そして、こちらは摂社・末社が集まっている場所から本殿域との間にある簡易的な鳥居です。
北口から参道が折れ曲がり、これだけ鳥居があるのは・・・。

摂社・末社(本殿付近)

皇大神宮

祭神

天照皇大御神

社殿

皇大神宮の入口です。

皇大神宮の社殿です。

他の摂社・末社と比べて広い敷地になっています。

住吉神社

祭神

底筒男神・中筒男神・表筒男神

社殿

住吉神社の拝所です。

こちらは、住吉神社の社殿です。

しっかりと石段の上に建てられていました。

天満宮

祭神

菅原道真

社殿

入口です。拝所があります。

拝所の中です。

何かの計算方式と思われます。拝所の上に掲げられていました。

生國魂神社 天満神社

社殿です。

社殿の左側に梅の木が植えられていました。

天満宮の絵馬です。

摂社・末社(北門側)

城方向八幡宮(きたむきはしまんぐう)

祭神

誉田別命、気長足媛命、玉依比売命

由緒

社名の「きたむき」は「城方向(北向)」で、大坂城鬼門の守護神として鎮祭されたことによります。かつては鳥居前の蓮池付近に鎮座していたそうです。

社殿

城方向八幡宮の鳥居です。

拝所です。

社殿(正面)です。

こちらは、斜めからの社殿です。

城方向八幡宮の絵馬です。

鞴神社(ふいごじんじゃ)

祭神

天目一箇神

あめのまひとつのかみ
岩戸隠れの際に刀斧・鉄鐸を造った日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神です。

石凝杼売命

いしこりとべのみこと
日本神話に登場する女神で、作鏡連(かがみづくりのむらじ)らの祖神です。

石を切って鋳型を作り溶鉄を流し固まらせて鏡を鋳造することから、鋳物の神・金属加工の神とされます。

香具土神

日本神話で伊邪那美が最後に産みんだ火の神。
出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、それが原因で伊邪那美は亡くなったとされています。

由緒

鞴(ふいご)とは、火起こしの道具のことです。
鍛冶の神で、製鉄・製鋼・鋳金・機械工具等を商う金物業界の守護神です。

社殿

鞴神社の鳥居です。

鞴神社の拝所です。

こちらは社殿です。
手前は鍛冶のイメージでしょうか・・・。

鞴神社に掲げられていた絵馬です。

家造祖神社(やづくりみおやじんじゃ)

祭神

手置帆負神 彦狭知神の父です。
彦狭知神 父と共に大小の峡谷の木を伐採して瑞殿を造営し、御笠・矛・盾を制作したとされます

家造りの祖神で土木建築の守護神とされています。

社殿

家造祖神社の鳥居です。

家造祖神社の拝所です。

こちらは、社殿です。中にも鳥居が建てられていました。
左に小さいお社が並んで建てられていました。

神社に掲げられていた絵馬です。

浄瑠璃神社

祭神

近松門左衛門ら文楽(浄瑠璃)の先賢

由緒

明治9年に竹本春太夫・鶴沢清七等と共に、三業(太夫・三味線・人形)の先師三十八柱の御霊を生國魂神社の境内に合祀したのが始まりだそうです。

なお、「曾根崎心中ー生玉社の段ー」は、生國魂神社の境内が舞台だそうです。

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社殿

浄瑠璃神社の入口の鳥居です。

拝所です。

浄瑠璃神社の社殿です。

諸芸上達の絵馬が掲げられていました。

鴫野神社(しぎのじんじゃ)

祭神

市寸島比売神、大宮売神、淀姫神

由緒

女性として栄華を極めた淀姫(淀君)ゆかりの神社だそうです。
その昔「鴫野の弁天さん」として大阪城東側(弁天島(現在の大阪ビジネスパークの位置))に祀られていました。弁天島の用地買収の際に生國魂神社境内に遷座しました。

女性の守護神とされ、心願成就と縁(縁むすび・悪縁切り)の神とされてきました。
淀姫が足繫く通ったことから、後の世に淀姫も併せ祀られたようです。

社殿

鴫野神社の鳥居です。

狛犬と拝所です。

拝所の入口です。

提灯と社殿です。

鴫野神社の裏手には、御神木がそびえています。
神の使いとされる「巳さん」が住むとされています。

御神木の元には社殿が祀られています。

こちらは、右からの撮影です。

源九郎稲荷神社

祭神

源九郎稲荷大明神

由緒

奈良県・吉野の源九郎稲荷の御分祠と伝えられているそうです。

社殿

社号標と鳥居です。

鳥居の正面です。

社殿です。

稲荷神社

祭神

倉稲御魂神

由緒

祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)のご分霊。
鍋島藩とその蔵屋敷出入りの商家が篤く崇敬したそうです。

社殿

稲荷神社の鳥居です。

拝所です。

稲荷神社の社殿です。

精鎮社(せいちんしゃ)

祭神

事代主神(えびす)、比咩大神(べんてん)

由緒

往古、表参道の蓮池に祀られていた弁財天社(明治初年に精鎮社と改称)。戦後の蓮池埋め立てに伴い現在地に遷座したそうです。

鮮魚を取り扱う商人、漁師や釣り人の信仰が篤いとのこと。

社殿

精鎮社の鳥居です。

社殿です。赤くなっています。

手前は弁天池です。鯉が泳いでいました。

また、横手には小さな滝のようになっていました。

その他

生玉の杜

参道から脇にそれると・・・

散策道があります。

そして、こちらは「結の玉」です。

どんど焼き

2022年正月のどんど焼きです。
対応しない神社も増えて来てる中、とても貴重ですね。

焼いている場所のアップです。

絵馬

2022年の虎年絵馬です。

織田作之助さんの銅像

夫婦善哉を書かれた、織田作之助さんの銅像だそうです。
木の都という小説には、生國魂神社も登場するそうです。

御朱印

通常の御朱印

生國魂神社の御朱印です。

お正月の御朱印(干支朱印)

2021年

2022年

地図・住所

地図

〒543-0071 大阪府大阪市天王寺区生玉町13−9

行き方

谷町九丁目の3番出口を出ます。

谷町筋沿いに歩きます。

歩道橋が見えたら、その手前を右に曲がります。

曲がったあと、そのまま真っすぐ歩くと生國魂神社です。

さいごに

大阪の谷町九丁目に鎮座している、生國魂神社をご紹介しました。

大阪城築城の際に移転されたとされます。
いや、豊臣秀吉の力って、現在の町づくりにかなり大きな影響を及ぼしてますね。

生國魂神社は如何でしたでしょうか。
お正月の御朱印、毎年集めたくなります。
一回り60年となるため、100歳くらいまで生きないと一回りできません(汗)
ぜひ挑戦してみてください。

機会があれば、ぜひ生國魂神社にお上がりください。

皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デル株式会社

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