目次
はじめに
大阪の和泉市に鎮座している、聖神社をご紹介しました。
古くは渡来人である、信太首(しのだのおびと)が祀ったという説があり、聖=日知りとして陰陽師が祀る神様とされています。
そのためか、安倍清明の父が日参していたとされています。
では、聖神社をご紹介してきましょう。
祭神
主祭神
聖大神(ひじりのおおかみ)
『古事記』に「聖神」と登場する大年神の御子神
『和泉国大鳥五社大明神并府中惣社八幡宮縁起』では本地仏は地蔵菩薩とされてます。
色々と調べていると・・・
聖(ひじり)とは、「日知り」であり、太陽の動きをしり、暦を司っているそうです。
農業の神様ではないか、とのこと。
陰陽師にとってはとても大切な神様でないですか!!
そのため、下記に記載するとおり、安倍氏の物語に繋がっていくのですね・・・。
配祀神
瓊々杵尊
天照大神
饒速日命
木花開耶姫命
磐長姫命
由緒
社格
和泉国和泉郡の式内社
和泉国三宮
旧社格は府社
御由緒
建立の由緒
下記の2つの伝承があるそうです。
(Wikipediaより)
1)
神武天皇東征の際に、瓊々杵尊を祀ったとする伝承
2)
白鳳3年(675年)8月15日に天武天皇の勅願により渡来氏族の信太首(しのだのおびと)が聖大神を祀ったとする伝承
信太首とは?
信太首(しのだおびと)とは、百済からの渡来系の氏族とのことです。
平安時代初期に編纂された『新撰姓氏禄』にも登場するそうです。
そして、この信太首が陰陽師だとのことです。
色々と情報が繋がっていきますね。
信太明神と葛葉姫伝説
大阪は安倍野(現在の阿倍野)の豪族だった安倍氏。
安倍晴明の父親(?)とされる、安倍保名(あべのやすな)が日参していたとされる場所が信太の森、信田明神。ここ、聖神社だった、という説があります。
(下記、信太森葛葉稲荷神社の記事も参照ください)
聖大神(=日知り;暦・陰陽師の神)とすると、日参していた理由もわかります。
安倍晴明に繋がる、陰陽師の土地、ということですね。
訪問記
大鳥居・参道
第一の鳥居です。
とても大きくて立派な鳥居が道路の上に建てられています。
のぼり方面の車のみが、鳥居の下を通れるようです。
鳥居の向こうに、狛犬が鎮座しています。
大きな道なりに沿って登って行きます。
神社の鳥居まで、結構な道のりです。15~20分ほど歩きました。
途中、お地蔵様がいらっしゃいました。
後ろを振り返ると、高台に登ってきたことが分かります。
遠くまで見晴らすことができますね。
神社の鳥居・参道
鳥居・社号標
ようやく、神社の鳥居に辿り着きました。
狛犬が古く、丸くなっているようです。
社号標と鳥居です。
木で隠れて上では見えなかったんですね。
鳥居です。奥に参道があります。
参道
参道です。途中で参道が左に折れ曲がっています。
途中で「昆虫トラップ」禁止とする、とありました。
虫取りをされている方が多いのでしょうか。
折れ曲がって進むと、灯篭と境内が見えてきました。
ようやく、聖神社に到着しました。
手水舎
手水舎です。
立派な手水石がありました。
奥に休憩所がありますね。
拝殿・本殿
拝殿
拝殿の正面です。とてもキレイで立派ですね。
お参りしました。
奥にはお酒が供えているのが見えます。
拝殿を横から見た構図です。
本殿
拝殿の奥に本殿があります。
赤を基調にしている本殿ですね。とても大きいです。
安土桃山時代の建立で、重要文化財になっています。
豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建した社殿です。
(もちろん、古くなったものが復旧されてとてもカラフルになっています)。
本殿を右から撮影しました。
本殿をアップにしました。
装飾がとてもキレイでした。鹿島神宮を思い出します。
境内社
三神社
祭神:不明でした
三神社の正面です。格子があってよく見えないですね・・・。
建てられたのは、慶長九年(1601年)です。
三間社春日造という珍しい建築様式とのことです。
滝神社
祭神:不明でした。
滝神社の正面です。
建てられたのは、慶長九年(1601年)です。
一間社春日造とい建築様式とのことです。
三神社と滝神社は隣り合って建てられており、同じ塀の中にありました。
平岡神社
祭神:不明でした。
正面です。周りが塀に囲まれています。
一間社春日造斐桧皮葺の社殿で、慶長九年(1601年)から十一年にかけて再建されたそうです。
現在、重要文化財に指定されているとのことです。
ひらおか、ということは、枚岡と関係あるのでしょうか。
関西なので、何かしらありそうですよね??
琴平神社
祭神:大物主神
琴平神社です。鳥居が建てられています。
小さい祠のような社殿でした。
厳島神社
祭神:市杵島姫命
小さなお社が建てられていました。
末広大神
祭神:不明でした。
末広大神です。立派な鳥居が建てれていました。
こちらは大きな石を拝む形になっていました。
稲荷社
奥に稲荷社がありました。
稲荷社の手前です。こちらも稲荷社の関係するお社と思われます。
聖不動明王
不動明王が鎮座していました。強力な祭神だからでしょうか。
その他
伊勢神宮の遥拝所です。
他にも、祠がありました。
聖権現大神の石碑です。
神様が彫られた石が建てれていました。お墓のようですね。
御朱印
拝殿の左側に社務所があります。
新型コロナウイルスの関係で御朱印の対応を休止する、とありました。
残念ながら、御朱印を頂くことができませんでした。
住所・地図
〒594-0004 大阪府和泉市王子町919
ONE MORE
篠田王子跡
聖神社一の鳥居のすぐ近くに、篠田王子跡があります。
赤い矢印をつけてくれているので大丈夫と思います。
鳥居をくぐってすぐ右の路地に入ったら、こちらの石碑があります(写真切れてますが・・・)。
王子はなくなりましたが、小さいお社が祀られていました。
明治42年に葛之葉稲荷神社に合祀されたそうです。
聖神社・篠田王子も熊野街道沿いです。
下記のピンク色の線が熊野街道とされています。
住所・地図
〒594-0004 大阪府和泉市王子町3丁目12−25
最後に
聖神社は如何でしたでしょうか。
御朱印も頂けなかったため、神社の由緒書きを頂くこともできませんでした。
沢山の摂社・末社がありますが、それぞれの祭神がよく分からなかったのが残念でした。
しかし、陰陽師の渡来民族が拓いた土地だったとは知りませんでした。
古代の日本は色々な出来事があり興味深いですね。
もっと公になってもいいのに、と思います。
では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!
コメントを残す