(大阪)難波八阪神社を訪問。素戔嗚尊を祀る古社。Instagramで迫力ある獅子殿がとても有名!!(RX100 M7)

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はじめに

難波八阪神社をご紹介します。
(※八坂神社のように「坂」ではなく、「阪」と記載するのが正しいようです)

大阪の難波(もしくは大国町)駅からの徒歩圏内にあるInstagramでとても有名な神社です。
一時は、日本人よりも日本以外の国から来た方々で多かったそうです。

では、難波八阪神社を見ていきましょう。

御祭神

祭神

素戔嗚尊

言わずとしれた、伊邪那岐命と伊邪那美命との間に産まれた三貴子の1人。
(他は天照大神と月読尊ですね)

とても粗暴な様子が古事記に描かれていますね。
八坂神社の祭神でもあり、神仏習合の過程で牛頭天王にみたてられていきました。

奇稲田姫命

素戔嗚尊の妃神です。
ヤマタノオロチ退治の後に奥さんになっています。

八柱御子命

素戔嗚の子・8柱の神様です。

八坂神社の八柱とは異なるな、と思っていたら明治の神仏分離の際、これが牛頭天王と習合していたスサノオと天照大神との誓約(うけい)で化生した五男三女神に変えられたようです。
そうすると、奇稲田姫命を祀っている状態とは不整合が起こっているような・・・。

  • 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
  • 天穂日尊(あめのほひのみこと)
  • 天津日子根命(あまつひこねのみこと)
  • 活津日子根命(いくつひこねのみこと)
  • 熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
  • 多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)
  • 多岐津比賣命(たぎつひめのみこと)
  • 狭依比賣命(さよりびめのみこと)

参考社

京都の八坂神社とは漢字が違いますね。大阪と大坂みたいな感じでしょうか・・。
こちらは本殿の記事です。

こちらは摂社・末社の記事です。

御由緒

社格

旧社格は、郷社とのこと。

由緒

※参考:難波神社ホームページ(https://nambayasaka.jp/)、及び入口の由緒書き

創建の由緒

創建年月日など詳しい資料は残っていないとのこと。
社伝によれば古来「難波下の宮」と称し難波一帯の産土神と言われていたようです。

※Wikipediaでは、「仁徳天皇の時代、この付近一帯に疫病がはやりだしたところ、牛頭天王が現れたのでこれを祀ったのが当社の始まりとされる。」と記載されていました。

後三条天皇の延久(1069年から1073年)の頃から祇園牛頭天王(ごずてんのう)を祀っている古社として知られていたようです。

神社として、厄除・招福・農耕・船運の守護として経験されます。
また、以前はお寺も含めた神宮寺だったようです。

昭和20年春の戦禍で社殿を喪失しましたが、復興・整備されたとのこと。

綱引き神事

毎年1月の第3日曜日に行われている神事です。
素盞嗚尊(すさのをのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、民衆の困苦を除いた故事に基づき始められたと言われているそうです。

お祭りは「摂津名所図絵」や「摂津名所図会大成」にも紹介されています。
また、近年では平成13年(2001年)に大阪市で初めての無形民俗文化財に指定されたとのこと。
拝殿の左側に記念碑が建てられていました。

訪問記

入口・参道

入口(正面)

正面の入口(南側)です。
鳥居に、神社の名前が掲げられています。

鳥居をくぐってすぐ左側に手水舎が設けられています。

手水舎では珍しいのですが、狛犬(?)が水を出してくれます。

鳥居の再建の記念碑が建てられていました。

こちら参道です。正面に拝殿が見えます。

入口(東側)

東側、西側にも入口があります。
東側であれば、獅子殿が正面に見えるため、とてもインパクトがあります。
(獅子殿の紹介は後ほど・・・)

拝殿・本殿

難波神社の拝殿です。
とても白い拝殿が印象的です。

拝殿の内部です。お参りします。

こちら石碑は、何を意味しているか不明でした・・・。
三種神寶と彫られているのは分かりますが・・・。

こちらは拝殿の奥には、本殿が建てられているようです。

大きな絵馬が掲げられていました。

さあ、拝殿の紹介が終わりましたので、右手に見えます獅子殿をご紹介することにします。

獅子殿

正面の鳥居をくぐって、拝殿の手前に獅子殿があります。
とてもインパクトありますよね。他の方のInstagramでもよく見かけます。

高きは12メートル、奥行き7メートル、幅7メートルとのこと。
昭和49年(1974年)5月に完成したそうです。比較的新しい建物ですね。

「ドーン!!」
大きな獅子が口を開けています。

ちょっと斜めから見てみました。

近くに来てみました。
何のための建造物なのか、謎だったのです。

獅子殿の口の中です。
何か、祭壇があります。また、お祭りで使われているものが展示されているようです。
(※目はライト、鼻はスピーカーになっているそうですよ!!)

硝子の手前は舞台になっており、お正月には神楽・居合道など、夏祭りには獅子舞・民踊等各種芸能が奉納されるとのことです。

なお、こちら、獅子殿でも神様が祀られており、
素戔嗚尊の荒魂が祀られているとのことです。

近くで見てみると、やっぱり迫力がありますね。

摂社・末社

篠山神社

祭神

篠山摂津守十兵衛伴景義

由緒

江戸時代に代官として着任(1793~1809年)した人物です。
摂津・河内・播磨の住民が難波に青物市場開設を嘆願し、尽力してくれた人とのこと。市場が開設されたことにより、住民の生活が安定したため、祀られたそうです。

※現在も近くに木津市場があり、青果取引(や魚の取引)がされています。

社殿など

手水舎がありました。扱いが違いますね。

こちらが篠山神社の社殿です。

稲荷神社、三宝荒神社

稲荷神社(左)

祭神:宇賀御魂神・豊国稲荷大神
神徳:五穀豊穣・商売繁盛

三宝荒神社(右)

祭神:奥津日子神・奥津比賣神・火産霊神
神徳:火と台所の守り神
※三宝とは、「佛・法・僧」のことを言うそうです。

社殿はこちらです。

市杵島姫神社、皇大神社

市杵島姫神社(左)

祭神:市杵島姫命・大物主神
神徳:産業開発・交通、海上運輸安全

皇大神社(右)

祭神:天照皇大神・猿田彦神
神徳:家内安全・家業発展

社殿はこちらです。

その他

宮跡の碑

難波下の宮と呼ばれた、難波神社の周辺。そこに対する宮跡と思われます。

鳥居の奥にはこちらの石碑が建てられています。

戦艦陸奥主砲抑器具記念碑

抑器具(砲口蓋;ほうこうがい=主砲の先端に装着したふた)は沈没し、海底から引き揚げられた戦艦陸奥の主砲八門の内の1つ。艦と運命を共にした、艦長 三好輝久大佐以下、1021名の魂を慰霊し平和を祈るためのものだそうです。

にしても、何故戦艦陸奥の主砲の蓋がここに!?
とても謎です。理由を聞きそびれてしまいました・・・。

難波葱 発祥の地碑

難波は明治初期は広大な葱畑だったそうです。
今からは全くイメージ湧かないですよね。

こちらは、難波葱発祥の地であることの、記念碑です。
九条葱(京都の、ですね・・・)のルーツとのことですが、本当でしょうか・・・。

御朱印

難波八阪神社の御朱印です。
舞殿がスタンプとして入っていますね。

なお、社務所は拝殿の左側にあります。

地図・住所

住所

〒556-0016 大阪府大阪市浪速区元町2丁目9−19

訪問時の目印

四ツ橋筋の元町3丁目北(元町3北)交差点に、
難波八阪神社への看板がかかっています。

最後に

難波八阪神社をご紹介しました。
印象的なものが3つありました。

やはり、獅子殿はとてもインパクトがありますね。
特に、東側にある鳥居から見える獅子殿。印象的でした。

難波の魚市場・青果市場につながる痕跡も確認できました。
今の難波の基礎になったんですね。

また、戦艦陸奥の主砲の蓋が展示されていたのも興味深いです。
調べた限り、つながりが発見できなかったので謎でした。

もし難波八阪神社を訪問することがあれば見てみてください。

では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デアゴスティーニ

デル株式会社

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