目次
はじめに
貴志川線沿線の三社巡りの一環として、竈山神社を訪問しました。
神武天皇の東征の折、負傷した兄の彦五瀬命を葬った地とされています。
神社と共に御陵とされる竈山御陵もご紹介します。
御祭神
主祭神
彦五瀬命
日本の初代天皇とされる神武天皇の長兄。
東征の折に、長髄彦の軍との戦いで負傷・絶命したのちに竈山の地に埋葬された、とされます。
そのため、竈山神社は彦五瀬命の墓と言えます。
(神社の裏に古墳があります)
配神
左脇殿
彦五瀬命の兄弟神
神日本磐余彦命
日本の初代天皇とされる、神武天皇です。
兄弟の中では、末弟(第4子だった)とされます。
御毛入沼命
彦五瀬命、及び神武天皇の兄弟。
第2子か3子かは、本によって記述が分かれるようです。
(基本は第3子となっているようです)
稲飯命
あ 彦五瀬命、及び神武天皇の兄弟。
第2子か3子かは、本によって記述が分かれるようです。
(基本は第2子となっているようです)
右脇殿
神武東征に従軍した随身
高倉下命
たかくらじのみこと。熊野の豪族とされます。
高倉下が剣をもたらしたことで、毒気にあてられていた神武天皇の一行が復活したとされます。
その剣は、石上神宮に祀られています。
可美眞手命
うましまじのみこと。物部氏の祖とされます。
長髄彦を殺した上で神武天皇に従った、とされます
天日方竒日方命
あめのひがたくしびがたのみこと。大神氏の祖とされます。
事代主神が鰐となって活玉依姫のもとに通い、天日方奇日方命をはじめとする子が生まれたとされ、
『日本書紀』によれば、祖父は事代主神
『古事記』によれば、父は大物主大神とされます。
『先代旧事本紀』によれば、妹は神武天皇の后、とされています。
天種子命
あめのたねこのみこと。中臣氏の祖とされます。
天富命
あめのとみのみこと。忌部氏の祖とされます。
古代の朝廷で祭祀を担った氏族です。
道臣命
みちのおみのみこと。大伴氏の祖とされます。
東征の先鋒を務め、神武天皇が即位をする際には宮門の護衛をしていたとされます。
大久米命
おおくめのみこと。久米氏の祖とされます。
『日本書紀』では、大伴氏の遠祖の天忍日命が、来目部の遠祖である大来目命を率いて瓊瓊杵尊を先導したとされます。
椎根津彦命
しいねつひこのみこと。倭氏の祖とされます。
神武天皇の東征の途中、速吸門で出会った国津神で、船路の先導をしたとされます。
頭八咫烏命
やたがらすのみこと。賀茂氏の祖とされます。
熊野から大和への道案内をした、とされます。
社格・由緒
竈山神社のホームページ(https://itp.ne.jp/info/301791925300000899/)も参照ください
社格
式内社では、小社
旧官幣大社
現在、神社本庁の別表神社
由緒
創建の由緒
神武天皇の東征の際に行軍した彦五瀬命は、孔舎衛坂(くさえざか)で長髄彦の軍との戦いで流矢にあたって負傷、その後雄水門(おのみなと、男之水門)で崩御、のち竈山に葬られたというエピソードが残っています。
上記の竈山は、現在は宮内庁によって竈山神社後背にある古墳「竈山墓(かまやまのはか)」に治定されています。今の社地はその遺跡です。
延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡、竈山神社」と記され、古くから官幣とされる皇室ゆかりのある神社と言えます。
なお、天正13年に豊臣秀吉による根来寺を討った際の戦禍により、社殿や古文書等の一切が焼失してしまったそうですが、後に徳川家が和歌山城主となった際に再建されたそうです。
名付けの神社
竈山神社のホームページを拝見していると、面白い記事を見つけました。
「赤ちゃんの名づけ」で有名とのこと。
彦五瀬命と関係あるのでしょうか?
理由は分かりませんが、命名を前面に推している神社は珍しいですね。
※竈山神社のホームページより
100年以上の歴史があるそうです。
訪問記
大鳥居
竈山駅近くの橋に大鳥居が建てられています。
ところどころ、錆びている様子です。
社号標・一の鳥居
社号標
こちら、社号標です。
駐車場になっており、社号標と鳥居が離れています。
一の鳥居
竈山神社の一の鳥居です。
鳥居をくぐります。
参道・手水舎
参道
参道です。
途中、横に抜けるための橋がかかっていました。
こちらは、脇から入ってくるための道につながっていると思います。
こちらは、祓所です。
手水舎
手水舎です。
手水です。柄杓を使わないように改良されていました。
神門・拝殿・本殿
神門
竈山神社の神門です。
神門のアップです。
神門の裏には酒樽が積まれていました。
では、神門をくぐって行きましょう。
拝殿
拝殿へ向かいます。
拝殿の手間に敷き詰められている石は紀州青石だそうです。
こちらが拝殿です。
拝殿の内部です。
では、参拝しましょう。
拝殿の左側です。
ちなみに、拝殿の前にこのように五角形のものがありました。
何かは不明ですが、意味があるものでしょうか・・・。
本殿
こちらは拝殿を横からみた写真ですが、奥に本殿が写っています。
更に、本殿を狙って写そうとしたものです。
本殿の奥が、下の方で紹介している、竈山御陵です。
もう少しアップしました。
拝殿裏が幣殿、奥が御本殿になっているようです。
なお、左からは奥はよく見れませんでした。
摂社・末社
拝殿の右側
※各社の祭神は不明でした
子安社
祭神は、木花開耶姫命でしょうか・・・
結社
祭神は、磐長姫命でしょうか。
とすると、上の子安社と姉妹となりますね。
となると、神武天皇の祖父母の代に関係する神様になりますね。
合祀社
どういった神様が合祀されているか説明はありませんでした
神門の外側
神門を出ます(拝殿正面に左)
摂社:青葉神社
摂社の青葉神社です。
こちらも、祭神の記載はなく、不明です。
※先代では伊達政宗が祭神ですが、違うと思われます・・・
竈山御陵
竈山神社の本殿の裏手には、竈山御陵(古墳)があります。
現在、宮内庁の管轄になっています。
彦五瀬命の御墓とされます。
竈山御陵の入口
入口です。すぐに入れないようになっています。
橋を渡ります。
周りには、濠が巡らされています。
御陵
道を進みます。
御陵です。これ以上は進むことができません。
階段が歪んで見えます。
御朱印
竈山神社の御朱印です。
※その他、境外摂社の静火神社の御朱印も竈山神社で拝受できます
地図・住所
地図
〒641-0004 和歌山県和歌山市和田438
行き方
竈山駅で下車します。
1線のみのホームになっています。
駅に釜山神社までの距離が書かれていました。
病院の隣の道を進みます。
そうすると、橋に鳥居が見えます。
竈山神社の大鳥居です。
鳥居を越えて真っすぐ進むと、信号があります。
写真の右側が竈山御陵、その奥が竈山神社です。
さいごに
竈山神社をご紹介しました。
貴志川線沿線の三社巡りの1社です。
神武天皇の兄の墓の推定地とされるだけあって、とてもシンプルな神社でした。
訪問される際は、神社の裏に位置している竈山御陵も併せて訪問ください。
次回、竈山神社の続編として境外摂社の静火神社をご紹介します。
では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!
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