(島根)物部神社を訪問。鶴が社紋にある石見国一宮。物部氏の術に端を発する宮中での鎮魂祭が有名(α7Ⅲ)

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はじめに

石見国一宮である、物部神社を訪問しました。
物部氏と言えば、古代にて「モノ」を司り祭祀を仕切っていたと言われる一族です。

訪問した第一印象は一宮の割にはこじんまりした神社だな、という印象だったのですが、中身を知るとかなり盛りだくさんの神社でした。

また、かなり多くの神々が祀られていることがとても印象的でした。
これも祭祀を仕切っていたとされる豪族が故でしょうか。

では、物部神社を見ていきましょう!

御祭神

主祭神

宇摩志麻遅命(うまじまじのみこと):古事記表記
可美真手命(うましまでのみこと):日本書紀表記

物部氏の祖神とされています。
ある場所では饒速日命とされていますが、物部神社では父神とし物部氏の祖神ではない、ということかもしれません。そこには、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)が関係しているのかもしれませんね。

尚、物部神社では、宇摩志麻遅命が石東の地(石見の地)に鶴に乗って降臨した、と伝えられています。そのため、下記の「ひおい鶴」が御神紋となっています。

*こちらの写真です。

なお、下記の石切剣箭神社では、饒速日命と宇摩志麻遅命が鎮座しています。
2つ記事を書いておりますので参照ください。

相殿神

右座

饒速日命(にぎはやひのみこと)
宇摩志麻遅命の父神とされます。

韴霊剣/布都霊神(ふつのみたまのかみ)
建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国を平定します。神武東征の際に神武が登美能那賀須泥毘古に敗走します。その後、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した剣です。

左座

天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
古事記において、神々の中で最初に登場する神

天照大神(あまてらすおおかみ)
明治5年本社へ合祀

客座

鎮魂八神(たまししずめやはしらのかみ)

平安時代の宮中(平安京大内裏)では、神祇官西院において「御巫(みかんなぎ)」と称される女性神職、具体的には大御巫2人(のち3人)・座摩巫1人・御門巫1人・生島巫1人により重要な神々が奉斎されていました。

八神殿はそれらのうち大御巫(おおみかんなぎ)によって奉斎された8柱の総称です。

高皇産霊神(カミムスビノカミ)
神皇産霊神(カンムスビノカミ
魂留産霊神(タマツメムスビノカミ)
生産霊神(イクムスビノカミ)
足産霊神(タルムスビノカミ

「ムスビの神」として霊魂に関わる神々

大宮売神(オオミヤメノカミ)
宮殿の人格化とも内侍(女官)の神格化ともいわれ、君臣の上下を取り持つ神

事代主神(コトシロヌシノカミ)
言葉を司る神

御食津神(ミケツカミ)
食物を司る神

別天神(ことあまつかみ)

古事記にて天地開闢の時にあらわれた五柱の神々です。

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
高御産巣日神(タカミムスビノカミ)
神産巣日神(カンムスビノカミ)

造化三神です

宇麻志阿新訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)
天之常立神(アメノトコタチノカミ)

国土が形成されて海に浮かぶくらげのようになった時に以下の二柱の神が現われます。この二柱の神もまた独神として身を隠されます。

社格・由緒

社格

式内社、石見国一宮、現在の神社本庁の別表神社

旧社格は国幣小社

由緒

御由緒

饒速日命(にぎはやひのみこと)は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯に天降り、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)の娘である御炊屋姫命(みかしきやひめみのみこと)を娶ります。
その後、産まれたのが御祭神である宇摩志麻遅命(うまじまじのみこと)です。

神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くしたため、天皇より神剣韴霊剣を賜ります。また、神武天皇御即位のとき、宇摩志麻遅命は五十串を樹て、韴霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願しました。(これが、鎮魂祭の起源とされます)

その後、宇摩志麻遅命は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定します。その後、天香具山命は新潟県の弥彦神社に祀られました。

宇摩志麻遅命はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎し(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源) としました。宇摩志麻遅命は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、物部神社が鎮座している八百山の麓に宮居を築いたと言われています。

社殿について

宇摩志麻遅命は現在の社殿の背後にある八百山に葬られます。

社殿が創建されたのは、継体天皇8年(514年?)、天皇の命によって八百山の南麓に社殿が創建されたと伝えられます。

戦艦石見との関係

大日本帝国海軍の戦艦石見の守護神とされ、神像が艦内に祀られていました。
この神像は、後に物部神社へ奉納されています。

訪問記

鳥居、参道

鳥居・社号標

入口の社号標です。
鳥居からは、斜めに設置されているようです。

こちら、鳥居です。とても立派な鳥居です。
奥に拝殿と本殿が見えます。

鳥居をくぐって参道を歩きます。

狛犬・狛鶴

進んでいくと、狛犬がいます。
また、狛犬の奥に、狛鶴がいます。鶴は物部神社のシンボルになっています。

もう少しアップで見てみましょう。

狛犬の台座には、鶴と亀が刻まれていました。
亀バージョンです。

鶴バージョンです。

こちら、狛鶴の一体です。

手水舎

こちらは手水舎です。
立派な岩を削った手水舎になっています。

手前に勾玉があります。

こんな感じですね。富金石というそうです。

この手水石は含金石(ふきんいし)と呼ばれる、砂金を含んだ珍しい石だそうです。
曲玉が5つ彫られており、意味があるそうです。
(1,浄の曲玉、2,勝の曲玉、3,財の曲玉、4,健の曲玉、5,徳の曲玉)

なお、手水舎の水は御神井より湧き出る御神水で、古文書にも書かれたことがあるとか。
(時の国司が調停に献上し、天皇は喜び元号を仁寿と改めたそうです)

拝殿・本殿

拝殿です。こちらも立派ですね。

物部神社の社標がかけられていました。

お参りしました。2礼、2拍手、1礼です。

拝殿の横に回ってみました。奥には本殿が見えます。

また、こちらは本殿の横です。
1753年に建築され、本殿の建物の高さは16.3mで日本最大級の春日造り(出雲様式も取り入れられています)となっているようです。県指定の有形文化財とのこと。

屋根をアップで撮影しました。めちゃくちゃ立派です。
屋根に神社御神紋のひおい鶴ではなく、亀があしらわれているところが非常に気になります。

本殿の後ろに回ってみました。真裏の屋根を見上げました。
建築物としても、とてもキレイですね。

また、本殿の足元です。中々ない光景ですねw

また、正面からして左から見た建物です。右からみた雰囲気とまた違いますね。
屋根については複数の板が重ねられていることが分かります。

御神墓

拝殿を正面に、左手奥に御神墓への入口があります。神体山である、八百山です。
物部系神社特有の、原始形態としての鳥居なのだと思います。

※社務所で聞いて見たところ、往復で10分程度、とのことでした。
 私自身が行ってみましたが少し急ぎ目で10分かからなかったかな、という印象です。

階段を登って行きます。
山登り、というよりは、土が多めな整備された道です。

道以外は割と土がむき出しになっています。
木が少ないことをみるに、それなりに手入れがされているんだろうな、という印象でした。

途中、不思議なオブジェがありました。
用途については、さっぱりでした。

上に登って行きます。

簡易的な鳥居が見えました。
ここから本格的に御神墓の領域と思われます。

木の根っこが沢山むき出しになっている道を進みます。
(こういう光景を見ると、「天空の城ラピュタ」を思い出してしまいます)
そこまで急ではありませんし、上もすぐ見えていますね。

少し上ると、お賽銭箱と鳥居が見えました。
どうやら、ここが御神墓のようです。

鳥居の奥には、石が積まれているのがわかります。

横から見ると、囲いの中に石が積まれています。
磐座や古墳の原型なのかもしれませんね。

なお、拝殿・本殿の奥はこちらの御神墓を向いているようでした。
薄っすらと御神墓から本殿が見えました。

摂社・末社

境内摂社

後神社(うしろじんじゃ)

祭神:師長姫命(しながひめのみこと)
宇摩志麻遅命の妃神と言われています。

拝殿の前には大きな樹が立っており、少し暗めになっています。
参拝当日は雨・曇りということもあり灯りがついていました。

参拝します。

摂社ですが、拝殿と本殿に分かれています。大きめの作りということが分かります。

こちらは後神社の本殿です。

境内末社(本殿の左右)

神代七代社(東五社)

祭神:七代の十一柱を祀っています
   日本書紀がベースの数え方のようです)
 (1.国常立尊、2.国狭槌尊、3.豊斟渟尊、4.泥土煮尊・沙土煮尊
  5.大戸之道尊・大苫辺尊、6.面足尊・惶根尊、7.伊弉諾尊・伊弉冉尊

須賀見社・乙見社

祭神:須賀見社 六見宿禰命(宇摩志麻遅命の三世孫)
   乙見社  三見宿禰命(六見宿禰命の弟)

一瓶社(いっぺいしゃ)

祭神:佐比売山三瓶大明神(三瓶山(さんぺさん)の名称伝説があるそうです)
   斎瓶を祀っているお社です。

皇祖四代社(西五社)

祭神:天照大御神、天忍穂耳尊、瓊々杵尊、彦火々出見尊、鵜草葺不合尊
  (※但し、天照大御神は本殿に合祀され、4代となっています)

稲荷神社

祭神:稲倉魂命、及び大穴牟遅命、大年神、大地主神(おおとこぬしのかみ)を合祀

社殿です。鳥居がある末社は稲荷社のみです。

境内末社(その他)

菅原神社(天満宮)

祭神:菅原道真公

柿本神社

祭神:柿本人麿朝臣

柿本人磨朝臣は、持統天皇時代に活躍した歌人です。
(物部氏の流れ;家系の1つ、という説があるようです)
万葉集や古今和歌集に多数の歌が収録されており、歌聖とされています。
石見国と深い関わりがあり、石見国で没しています。

「ひとまろ」から、霊留る(ひとまる;安産)、火止る(防火)や学業成就の神徳があるとされています。

淡島社

祭神:少彦名命

八重山神社

祭神:伊邪那美命、大山祇神、若布都主神(わかふつぬしのかみ;大国主の子とされています)
  農耕、牛馬の守護神とされています

恵比須神社

祭神:事代主命、大国主命
(元々、境内西の氏子地域に鎮座していたそうですが交通量が多くなり境内に移されたそうです)

台座の下には、黒い石の祭神が鎮座していました。

その他

祓処

祓処です。神職が身を清める場所です。
鶴の狛鶴(!?)と岩がありました。

大きな岩に注連縄がかけられていました。

御神井

御神井です。

隣には小さな祠が祀られていました。
摂社・末社の中には数えられていないようでした。

勝石(かちいし)

祭神が腰かけていた、と言われる勝石です。
「運気」が籠っているため、勝石を直接撫でて「勝運」を受けてくださいとされています。

宇摩志麻遅命が白い鶴に乗って川合に天降ります。そこを鶴降山といいます。国見をしたところ、八百山(御神墓のある山)が大和の天の香具山に似ているため、麓に住みます。

白い鶴に乗って降りたところを折居田といいます。
本殿から東に600メートルのところに石碑があり石上布瑠神社があります。

昭和56年に石と共に枯れないと伝えられる桜と共に、道路拡張工事のため境内に移されたとのことです。

夜なき椨と聖天さん

古来より子育ての御神木として有名だそうです。
この椨(たぶ)の木の空洞に一晩寝かせると夜泣きがなおったと言われているそうです。
子供の病気がけがをなおす神様とされているようです。

また、空洞の中の石は、聖天さんと言われているそうです。
象頭人身の双身像で、男天(魔王)と女天(十一面観音の化身)が抱き合っている姿と考えられています。

富貴を与え、病を除く夫婦和合の神様と考えられています。
そのため、縁結びや子授けの神様と言われています。

立派な木ですよね。

神馬

神馬のパーソロン号です。

由来が記載された石碑もありました。

御朱印

御朱印

御朱印です。御神饌として、米粒を頂きました。
尚、初穂料はお気持ちでしたので300円を納めました。

物部神社で分けて頂ける御朱印帳です。

社務所

拝殿の左側が神札所です。
一の鳥居の右側に社務所があり、そちらでは18時頃まで御朱印を受け付けてくれるそうです。

境内のみどころも紹介されています。

十種神宝の護符もありました。

昇運守りです。

その他、願掛け石、たまのおなどお好きな授与品を探してみてください。

地図・住所

住所

〒694-0011 島根県大田市川合町川合1545

行き方

出雲市から向かったのですが、特急まつかぜが便利でした。

大田市駅(おおだし駅)で下車します。

バスの利用には時間が限られていたため、行きはタクシーを利用しました。

大田市のキャラクター、らとちゃんだそうです。しまねっこが隣にいました。

駅前に像がいました。

こちらは物部神社前のバスの時刻表です。
バスの本数は少ないため、ご注意ください。

バスはこのようなバスです。
社号標の前にバス停があり、行きも帰りも同じバス停です。

最後に

物部神社をご紹介しました。

メインとなるのは本殿と御神墓です。
元々の拝殿はお墓を外からお参りするための参り墓なのだと思われます。
関西を拠点としていた饒速日命の子孫神が石見で没したのは拠点を奪われたからなのでしょう。
(鶴に乗って降臨した、という伝承は興味深いですね)

なお、摂社・末社における祭神の多さと古事記で登場する箇所を鑑みたら初期に出てくる神様が多くて驚きでした。物部氏が祭祀を司っていたことも関係するのでしょうか。
色々と興味深いですね。

交通手段としては不便な場所ではありますが、訪れるに価値のある場所です。
ぜひ訪問ください。

では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デアゴスティーニ

デル株式会社