(奈良)石上神宮を訪問。壬申の乱で天武天皇勝利に貢献した古代の武器庫。楼門が有名で物部氏の氏神神社とされます(α7Ⅲ)

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はじめに

奈良県、天理市に鎮座している、石上神宮をご紹介します。

古代史最大の兄弟げんかと割れる、壬申の乱。
天武天皇の勝利の要因の1つとして挙げられるのは、石上神宮を押させたこと。
古代の武器庫だった、と言われています。

また、物=祭祀や武器を掌握していた物部氏の氏神とも言われます。

では、石上神宮がどんな神社か見ていきましょう。

御祭神

下記、石上神宮のホームページを参照し記載しました。
(URL:http://www.isonokami.jp/about/c2.html

主祭神

布都御魂大神

つのみたまのおおかみ
神剣「韴霊(ふつのみたま)」に宿る御霊威を称えた神様です。

古事記・日本書紀に見える国譲りの神話に登場される武甕雷神(たけみかづちのかみ)が持っていたとされる剣です。
また、神武天皇が初代天皇として橿原宮にて御即位するための旅路にて、無事大和(奈良県)に到着する際に授けられたとされる剣でもあります。

布留御魂大神

るのみたまのおおかみ
天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)に宿る御霊威を称えた神様です。

天璽十種瑞宝とは、饒速日命が天津神(あまつかみ)から授けられた十種の神宝で、それらには〝亡くなられた人をも蘇らす〟という力が秘められていたとされます。

後に饒速日命の子である宇摩志麻治命が、この神宝を用いて初代天皇と皇后の大御寿命(おおみいのち)が幾久しくあることを祈られました。これが鎮魂祭(みたまふりのみまつり)の初めとされています。

布都斯魂大神

つしみたまのおおかみ
素戔嗚尊が出雲国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治されるのに用いたとされる剣、天十握剣(あめのとつかのつるぎ)に宿る御霊威を称えた神様です。

配祀

宇摩志麻治命

饒速日命の子で、石上神宮の祭主である物部氏の祖神とされています。

父である饒速日命が天津神より授けられた天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)を受け継ぎ、その宝の力を用いて鎮魂(みたまふり)の神業(かむわざ)を行い、初代神武天皇に忠誠を尽くしたと言われます。

こちらもご参考に!
石切剣箭神社

物部神社

五十瓊敷命

第11代垂仁(すいにん)天皇の皇子で、第12代景行(けいこう)天皇の兄です。石上神宮の神庫(ほくら)の管理をしていたとされます。

晩年にはその職掌を妹である大中姫命(おおなかつひめのみこと)に譲られようとするも、手弱女(たおやめ)の身ゆえと辞退します。そのため、その管理は物部十千根大連(もののべのとおちねのおおむらじ)が行うこととなります。

白河天皇

第72代の天皇で、歴代天皇の中でも特に石上神宮への崇敬が厚かったそうです。

永保元(1081)年には、宮中の神嘉殿(しんかでん)を当神宮の拝殿として寄進したそうです。
また、寛治6年(1092)には上皇として行幸されます。毎年10月の石上神宮の例祭である渡御(とぎょ)はこの時より始まったといいます。

市川臣命

第5代孝昭(こうしょう)天皇の皇子の後裔(こうえい)である、米餅搗大使主命(たがねつきおおおみのみこと)の子です。

石上神宮社職の祖で、第11代垂仁天皇の時代には既にご奉仕しており、子孫は布瑠宿禰(ふるのすくね)と称し、祭主物部連(もののべのむらじ)と共に永く祭祀に奉仕したとされます。

御由緒

概要と由緒は、石上神宮のホームページを参照し記載しました。
(URL:http://www.isonokami.jp/about/index.html

社格

式内社名神大社は
二十二社の中七社

旧社格は官幣大社
現在は神社本庁の別表神社

神社の概要

大和盆地の中央東寄り、龍王山の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳が密集します。

布留社という名前は、布留山を神体山を拝んでいたから、と考えられます。
剣のご神体はあるとしても、本来、石上神宮が祀っている主体が気になります。

(上記の2行は作者追記)

武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ちます。
健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されています。

創建の由緒

神武天皇は即位した後、その御功績を称えられ、物部氏の遠祖 宇摩志麻治命(うましまじのみこと)に命じて布都御魂大神を宮中に祀っていたとされます。

その後、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留の高庭に祀られました。

古くは「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、他「石上社」「布留社」とも呼ばれます。

訪問記

鳥居・参道

石上神宮の入口

石上神宮の入口です。
大きな道路沿いですと、こちらが入り口で大きな社号標が建っています。

道路を進んでいきます。

そうすると、布留社と書かれた灯篭と鳥居が見えてきます。

大鳥居と社号標

社号標と鳥居です。
タクシーだとここまで入ってきてくれます。

社号標の近くには、柿本人麻呂の歌碑が建てられていました。
「をとめらが 袖布留山の瑞垣の 久しき時ゆ 思ひきわれは」という歌だそうです

大鳥居です。

鳥居には、「布都御魂大神」と掲げられています。

参道

参道を進みます。

神杉です。
石上神宮には樹齢300年を越える杉が数本生えており、万葉集にも登場するそうです。

上に見上げて撮影してみました。

神饌所です。灯篭が前に置かれています。

根っこが地表に出た木も生えています。
大鳥大社にも楠木がこのようになっていましたが、とても力強い印象を受けます。

休憩所

休憩所です。

休憩所の中にあった、石上神宮の説明書きです。

境内の全景図も掲げられていました。
人が座るスペースは、鶏さんも使っているようです。

山の辺の道

大神神社から続く、山の辺の道は石上神宮にも通じています。
こちら、山の辺の道の大神神社方面から続く入口辺りになります。
(※社号標のあたりが、出口です)

石上神宮方面へ歩いていきます。

途中、歌碑も置かれていました。

山の辺の道の説明書きもあります。

石上神宮から山の辺の道を見た様子です。

山の辺の道は、石上神宮の鏡池に到達します。

鏡池、手水舎、鶏

鏡池

石上神宮には、鏡池があります。
割と大きな池です。

鏡池で山の辺の道が折り曲がります。

場所は休憩所が丁度角になります。

鏡池には、ワタカという天然記念物に指定されている、淡水魚が住んでいるそうです。
琵琶湖や淀川水系に生存している、鯉科に属する

鶏小屋と鶏

石上神宮では、鶏が神の使いとして沢山います。
夜明けに鳴いて時を告げることから、昔の人々は神聖視したようです。

こちら、鶏小屋です。

こんな感じでニワトリさんがいらっしゃいます。
沢山いらっしゃいますが、1羽だけ写した写真です。

鶏の石像もありました。
戦わせていたのでしょうか・・・。

手水舎

想像以上に、小さい手水舎でした。
屋根も特にありません。

柄杓はなく、竹から水が流れるように変更がされていました。

楼門、社殿

楼門

天神社から撮影した楼門と拝殿・少し本殿の屋根です。
石上神宮は楼門の美しさが印象的ですが、私が訪問した際は改修中でした。

楼門を鏡池側から見たアングルです。
楼門があると、道が狭いことが分かります。

楼門を正面から見た写真です。

こちらは、拝殿の境内にあった模型です。
残念ながら改修中の写真しか掲載できないため、こちらを参考に・・・。

爪楊枝で作成され奉納されたもののようです。めちゃくちゃキレイですね!!

さあ、中に入っていきましょう。

拝殿

石上神宮の拝殿正面です。

では、参拝しましょう!

左から拝殿を見ました。

とても格好いい拝殿と思います。

本殿

石上神宮の本殿は、よく見えないようになっています。
拝殿の左右には垣があり、それでよく見えなくなっています。かろうじて屋根のみ・・・。

石上神宮の説明によりますと・・・

拝殿後方の禁足地を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。

右側だと少し見えやすくなっていました。

その他

境内に簡単な展示がされていました。
七支刀の絵がかけられていました。

鎧櫃だそうです。マツ材製で南北朝時代のものとのこと。

干支の小さい人形たちです。

神杉2

社殿へ向かわずに角を左に曲がります。
少し階段を登ったところに、大きな杉の木があります。

杉の木の根元にはお賽銭箱が設けられています。

杉の木です。とても大きいです。1本目と同様にとても大きいです。

石上神宮の奥と祓戸社

石上神宮の奥

少し奥側に向かいました。
長生殿というそうです。何かしら使われている建物かと思います。

少し進むと、道の真ん中にめちゃくちゃ大きい樹が。
イチガシという樹だそうです。

いや、めちゃくちゃ大きいですね!!
樹齢は約300年、樹高約25m、幹周り4.15mだそうです!!

祓戸社

イチガシの木から奥に進むと、何かの入口がありました。
立ち入り禁止になっています。

GoogleMapや神社ホームページを見たときに、何があるか書かれていました。
祓戸社のようです。

通常、神社の入口あたりに鎮座されているのですが・・・。
本来の入口は、こちらの奥側、ということなのでしょうか・・・。

摂社・末社

摂社:出雲建雄神社(若宮)

祭神

出雲建雄神(いずもたけおのかみ)
=草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)

由緒:

天武天皇(てんむてんのう)の御代に御鎮座とのことです。

布留邑智(ふるのおち)という神主が、 ある夜、 布留川の上に八重雲が立ちわき、 その雲の中で神剣が光り輝いている、 という夢を見ました。 明朝その地に行ってみると、 8つの霊石があって、 神が 「吾は尾張氏の女が祭る神である。今この地に天降(あまくだ)って、皇孫を保(やすん)じ諸民を守ろう」 と託宣されたので、神宮の前の岡の上に社殿を建ててお祀りした

江戸時代には、 出雲建雄神は当神宮の御祭神 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の御子神と考えられ、そのため 「若宮(わかみや)」と呼ばれたそうです。

※しかし、なぜ、石上神宮の地に出雲建雄が祀られているのか??

社殿

出雲建雄神社の拝殿です。国宝です。

正面から見た写真です。
逆の正面からは上には来れないようになっているようですね。

出雲建雄神社の入口です。

出雲雄神社の社殿です。

横から撮影した写真です。

末社:猿田彦神社

祭神

主祭神:猿田彦神
配祀神:底筒男神、 中筒男神、 上筒男神、
    息長帯比売命、 高靇神

歴史

江戸時代には、祭王御前・山上幸神・道祖神社などと呼ばれ、現在地よりさらに東の山中に祀られていましたが、 明治10年に現在地に遷座されたそうです。
明治43年に内山永久寺の鎮守社であった住吉社の御祭神を合祀したそうです。

社殿

猿田彦神社の社殿です。
出雲建雄神社の右奥に鎮座しています。猿田彦も出雲の関係社ということかと思います。

少し小さい社殿でした。

摂社:天神社、七座社

祭神

天神社:
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)

七座社:
生産霊神(いくむすびのかみ・中央)・足産霊神(たるむすびのかみ・生産霊神の右)・魂留産霊神(たまつめむすびのかみ・生産霊神の左)・大宮能売神(おおみやのめのかみ・足産霊神の右)・御膳都神(みけつかみ・魂留産霊神の左)・辞代主神(ことしろぬしのかみ・右)・大直日神(おおなおびのかみ・左)

※左からの順番では、下記です。
大直日神・御膳都神・魂留産霊神・生産霊神・足産霊神・大宮能売神・辞代主神

由緒

生命を守護して下さる宮中八神に、 禍(わざわい)や穢(けがれ)を改め直して下さる大直日神を併せてお祀りしたもので、 石上神宮の鎮魂祭と深い関係があるとされ、 上古の時代から鎮座されているそうです。

天神社

2社の入口です。正面が天神社です。

天神社の社殿です。

横から見た社殿です。

七座社

七座社の社殿です。
集合長屋のような形になっています。

あまり見ないですが、後ろから見た七座社です。

末社:神田神社

祭神

高倉下命

由緒

神武天皇が御東征の途次熊野にて御遭難になった折に、 高倉下命が高天原から下された当神宮の御神体である神剣「韴霊」を天皇に奉ったことにより祀られています。
以前は天理市三島町小字神田の地に鎮座していましたが、 平成2年1月に石上神宮の道路沿い社号標の向かい側に遷座となりました。

社殿

今回、写真を撮り漏れていました。
別の機会に訪問して、撮影したいと思います。

境外末社

恵比須神社

祭神

事代主命

由緒

神社では不明とのことです
江戸時代元禄年間の記録にはすでに 「戎宮」 「恵比須殿」と出てくるようです。

社殿

入口の鳥居です。

お社です。

高床式のようなお社になっていました。

全景としては、このような敷地になっています。

鎮座地

大きな道路沿いの社号標を西側に進み、布留側の手前を少し入ったところに鎮座しています。

地図です。

御朱印

御朱印

御朱印は楼門の向こう、拝殿前の空間に授与所があります。
御朱印は社務所ではなく、授与所で頂きます。

通常の御朱印

石上神宮の通常御朱印です。

特別御朱印

特別御朱印の七枝刀の御朱印です。

授与所

授与所は拝殿を背にして、楼門の右側に位置しています。

授与品が楼門の入口で紹介されていました。
こちらは、絵馬や勾玉守り。

こちらは、御神剱守です。

住所・場所

住所と地図

〒632-0014 奈良県天理市布留町384

行き方

交通手段

タクシー、バス、もしくは徒歩(約30分)です。
バスの本数が少ないため、タクシーが便利かと思います。

石上神宮のホームページにリンクがあります。
最新情報はこちらのサイト(石上神宮、交通案内)を参照ください。

※下記は、石上神宮のHPより

私は行きはタクシー、帰りは徒歩でした。
徒歩の模様をレポしますね。

徒歩の模様

大きな社号標の前の景色は、このような景色です。

天理大学が傍にあります。

こちらは、天理教会さんの本部とのことです。
めちゃくちゃ大きかったです。

並木道はとてもキレイでした。

天理駅近くには、商店街もありますよ。

最寄り駅の天理駅に到着しました。

番外編:天理駅そばのとんかつ屋さん

天理駅の近くにあったとんかつ、「AJIBUTA」さんです。
フラッと入ったのですが・・・。

ランチであれば、1000~2000円程度です。
高いと思いますか??

いえ、そうではないです。
めちゃくちゃ美味しくて、思わず「どうして天理ですか??」と思わず聞いてしまった程。
失礼な言い方ですが、もっと人が多い大阪市内で出したら行列できるんじゃないか!?と。

お店の方は、苦笑いしながら「それが天理なんです」と返して頂きましたw

控え目に言って、最高でした。
石上神宮や天理を訪れたら、訪問をオススメです!!!

最後に

石上神宮をご紹介しました。

見所がとても多く、とても長い紹介となってしまいました。
石上神宮のホームページも、とても充実していました。

現在の石上神宮は武器庫の片鱗はありません。
しかし、古代からの神社として、その雰囲気はとても素晴らしいものがあります。

不思議な街、天理もぜひ。

では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デアゴスティーニ

デル株式会社

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