目次
はじめに
2022年1月、年明けの最初の更新は、北野天満宮です。
私自身、2022年に実施される資格試験の受験を考えており、受験合格を祈願してのブログ記事アップとなります。
北野天満宮は菅原道真を祀る神社。
大宰府に左遷され、衣食住もままならない内に亡くなったため、その後に発生した京都での不思議な出来事が菅原道真の祟り、と考えられます。
そして、とても立派な神社が建立されました。
ぜひ、北野天満宮を覗いてみてください。
御祭神
菅原道真
生い立ちについて
幼少の頃より学業に励み、情緒豊かな和歌を詠み、格調高い漢詩を作るなど優れた才能の持ち主でした。学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し、異例の出世を重ねられた道真公は、昌泰2年(899)右大臣の要職に任命され、左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括されます。
ところが、突如藤原氏の策謀により、昌泰4年(901)大宰権帥に左遷され、そのわずか2年後、大宰府の配所にて波乱の生涯を閉じます。
大宰府での暮らしについて
太宰府への移動はすべて自費によって支弁し、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられたそうです。『菅家後集』に収められた「叙意一百韻」では、左遷・流謫の身に至るまでの自らの嘆きが綴られています。大宰府浄妙院で謹慎していたそうですが、左遷から2年後の延喜3年(903年)2月25日に大宰府で薨去し、安楽寺に葬られます。享年は59。
殺されたり、刑罰による死ではないですが、衣食住もままらない状況だったようで窮死に追い込まれたと考えられます。
菅原道真の祖先
道真の曾祖父菅原古人のとき土師(はじ)氏より氏を改めたもの。
摂社にもありますが、野見宿祢の家系とされます。
野見宿祢については、別の神社の記事でもご紹介したいと考えています。
好きな花について
梅の花を好んだとされ、全国の天満宮で梅が植えられています。
和歌の才能もあったとされ、そこにも梅が出てくるのでしょうね。
社格・御由緒
北野天満宮のHPはこちら:https://kitanotenmangu.or.jp/index.php
社格
旧社格は官幣中社
現在は神社本庁の別表神社
二十二社(下八社)の一社
二十二社について知りたい方はこちらの本も参考になります。
「神社のいろは 続」でも、神社の歴史の中で二十二社成立について述べられています。
御由緒
創建の由緒
右大臣・菅原道真が左大臣藤原時平の讒言にあって左遷され、延喜3年(903年)に大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次ぎます。
延喜8年(908年)に藤原菅根が病死し、延喜9年(909年)には藤原時平が39歳で病死した。これらの死が道真を謀略におとしたため道真の怨霊によるものだとされています。延喜13年(913年)には右大臣である源光が狩りの最中に泥沼に沈んで溺死したそうです。
延喜23年には醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王が薨御(こうぎょ)します。『日本紀略』ではこれを道真の恨みがなしたものだと考えていたようです。
一連の事件が道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられます。
(特に藤原氏をはじめとする上流階級の方々)
そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈ります。
また、北野天満宮の創建は、平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当所に神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされます。(=北野天満宮のはじまり)
その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。これが現在の北野天満宮の鎮座です。
北野の地とは
帝がおわした大極殿は今の京都御所より西にあり、北野の地は都の守護をつかさどる四方(北東、北西、南東、南西)の北西、「乾」の地として大変重要な場所とされてきました。
そこに、天地すべての神々「天神地祇」をおまつりした地主社が建てられました。
この神社に向けて帝が大極殿から祈りを捧げられるとき、北野の上空には北極星が輝き、日・月・星の運行が天皇・国家・国民の平和と安寧にかかわるとする「三辰信仰」と結びついて、北野は「天のエネルギーが満ちる聖地」として篤く信仰されるようになりました。
(私見)
そういった天の力に道真の霊威を鎮めてもらおうと考えられたのかもしれませんね。
学問の神様?
祖父・菅原清公以来の私塾である菅家廊下を主宰、朝廷における文人社会の中心的な存在となります。後進を育てることもしていたのですね。
学問の神様とされる由縁となります。
江戸時代には、各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室に天神さまがおまつりされたり、道真公のお姿を描いた「御神影」が掲げられて、学業成就や武芸上達が祈られてきました。上記の私塾を開催していたからです。
このことがのちに「学問の神さま」「芸能の神さま」として皆さまに広く知られるきっかけとなったようです。
訪問記
七不思議も併せてご紹介しています。
黄色の下線部に注目してみてください!
大鳥居~参道
大鳥居
北野天満宮の大鳥居です。鳥居の付近には沢山のタクシーが。
訪問する人が多いことの証左ですね。
鳥居への道すがら、佐久間象山先生のお墓への道標を見つけました。
近くの妙心寺にお墓があるようです(今回は訪問せず、でした)
北野天満宮の大鳥居です。
非常に大きくてビックリしました。
参道~3の鳥居
鳥居をくぐってすぐ、影向松(ようごうのまつ)があります。
影向とは、「神仏がこの世に仮の姿をとって現れること」だそうです。
何とこちらの松は創建からこの地にあるという御神木だそうです。
また、雪が降った日には天神さまが降臨し雪を愛でながら詩を詠むという伝説もあるとか。
参道の途中には、牛さんが座っています。
そして、二の鳥居です。
こちらは少し小さめです。
そして、参道が続きます。
そうすると、更に鳥居が。3の鳥居です。
3の鳥居後です。
参道を進むと、また牛がいらっしゃいます。
1体目
2体目
楼門・手水舎
楼門
北野天満宮の楼門です。
とても立派ですね。
額には、「文道大祖」と「風月本主」が掲げられています。
御朱印の言葉にも選ばれています。平安時代の学者が菅原道真をたたえた言葉とされます。
楼門にはこちらのような灯篭が掲げられています。
手水舎
手水舎です。
牛が中央に鎮座しています。
また、手水舎には花が敷き詰められていました。
参道
手水舎の傍に立派な絵馬殿があります。
また、楼門からの参道は折れ曲がっています。
建立時に菅原道真公が恐れられていたことが分かります。
神門への参道にも多くの末社が並んでいます。
神門・本殿
三光門
北野天満宮の三光門です。
天満宮の額が立派で、とてもキレイな装飾が施されています。
この中には月と日の彫刻が隠れているそうです。ぜひ探してみてください。
とてもキレイな造形ですね。
ちなみに、三光門の外側にある灯篭の1つに、大黒様が刻まれています。
なんと、大黒様の口に石を乗せて落ちなければ、①その石を財布に入れればお金に困らない、②受験に合格する(=落ちない)という言い伝えがあるそうです。
拝殿
北野天満宮の拝殿です。
とても立派な拝殿ですね。
では、お参りをしましょう。
横から見た拝殿です。
拝殿には立った丑が1体だけ(神社を通しても1体)描かれているそうです。
ぜひ、探してみてください!!
拝殿の前には、梅と松が植えられています。
こちらは、飛梅です。梅は菅原道真公が好きだった花と伝えられていますね。
こちらは、松です。
また、こちらは重要美術品の渡邊綱の灯篭です。
平安時代中期の武将・源頼光の四天王の一人とされます。
源頼光といえば、大江山の酒呑童子のエピソードを思い出しますね。
拝殿の周りです。神門を含めて、屋根が四方を巡っています。
本殿(国宝)
拝殿の傍にある出入口から裏の本殿に回ります。
大阪天満宮だと、ここの門を登竜門とされていますね。
(大阪天満宮は別途ご紹介しますね)
裏の社
本殿の背面には御神座があり、3柱が祀られています。
祭神:天穂日命 :天照大神と素戔嗚尊の誓約により生まれた神様の1柱。古事記において、
出雲の国譲りにおける第一の使者として派遣されますが大国主側につきます。
菅原道真の祖先とされます
菅原清公卿 : 菅原道真の祖父とされます
菅原是善卿 :菅原道真の父とされます
独立したお社はなく、こちらから拝みます。
何故背後に祀られているのかは、七不思議の1つとされています。
そして、こちらは拝殿から左奥になる場所です。
とても大きくて、立派な造りになっていることがわかります。
・・・と思っていたら、本殿は国宝に指定されているそうです。
本殿裏の区域
文子天満宮
本殿以外にも、(恐らく、鬼門方向で)道真公が祀られています。
祭神
菅原大神(菅原道真公)
由緒
道真公が大宰府で亡くなった40年後の942年、右京七条二坊に住む巫女・多治比文子(たじひのあやこ)に道真公の神霊からのお告げがあり、「魂を右近馬場(現在の境内)に祭れ」とお告げがあったそうで、とりあえず自宅にお祭りしたそうです。
これを北野天満宮の発祥とされます。
その後、他の霊能者にも同じ神託が相次ぎ、947年に天満宮は現在地に遷されたそうです。
文子の居住跡は神殿につくり改められ文子天満宮と称えられてきたそうです。その後、明治6年に北野天満宮内に遷座されたそうです。
社殿
本殿裏の奥に鳥居が見えました。
文子天満宮の鳥居です。
文子天満宮の社殿です。しっかりとしていますね。
天狗山
北野天満具の北西に天狗山という小山があります。
室町時代の絵図には鳥天狗が描かれているそうで(北野天満宮HPより)、面白いですね。
お稲荷さんのような鳥居です。
周りには絵馬がかけられていました。
その奥にはお牛様が。
牛社というそうです。
お牛様のアップです。
撫丑(なでうし)のようです。
近くには、こちらの鳥居も。
「ひたすらに おすがり申す お牛さま」という刻み文字が印象的でした。
(いや、気持ちが分かる、という感じで・・・)
摂社・末社(三の鳥居付近)
伴氏社(ともうじしゃ)
祭神
菅原道真の母君
由緒
菅原道真の母親が大伴氏だったことで、伴氏社とされています。
以前は五輪の塔が置かれていたそうですが、明治の神仏分離令で東向観音寺に遷されたそうです。
社殿
伴氏社の入口です
社殿です。
摂社・末社(楼門から西側)
宗像社
祭神
田心媛神(たごりひめのかみ)
湍津媛神(たぎつひめのかみ)
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
由緒
宗像三女神とされる神々です。
宗像の海域は大陸との交通に重要であり、道を司る最高神として手あつく祭られてきました。
以前は社殿の西に池があり、水底に鎮座していた御祭神が現在の場所に遷されたそうです。
社殿
立派な鳥居があります。
宗像社の社殿です。
大杉社
由緒
随一のご神木とのことです。
室町時代に作成された絵図には樹齢が数百年らしき二股の杉が描かれており、これから推定すると一千年以上の樹齢があるものと推定されるようです。
社殿
鳥居があります。
とても太い樹というのが少しでも伝われば・・・。
上側の様子です。
稲荷神社/猿田彦社
稲荷神社 祭神
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)、猿田彦命、大宮女命
→五穀豊穣、商売繁盛、火難除け
稲荷神社 祭神
昔この付近で大火があった際にこの神社の手前で火の手が止まったという言い伝えにより、火除け稲荷とも呼ばれているそうです。
猿田彦社 祭神
猿田彦神
→交通安全
(相殿)大宮売神(おおみやめのかみ)
→芸能・舞踊上達
猿田彦社 由緒
猿田彦神は瓊瓊杵尊を案内したことから、交通安全の神としてあがめられてきました。
大宮売神は天鈿女命の別名。天の岩戸に隠れた天照大神を軽妙な踊りで出せた神様です。日本に伝わる「おかめ」は大宮売神をモデルにしたとされています。
社殿
鳥居があります。
まずは稲荷社の社殿です。大き目の社殿ですね。
屋根も厚くて立派です。
左隣に猿田彦社があります。
一之保神社/奇御魂神社
一之保神社 祭神
菅原大神(菅原道真公) → 学徳成就
一之保神社 由緒
道真公が大宰府に残された鉄づくりの木像を持ち帰り西ノ京に建てた小さな社(安楽寺天満宮)と称して祭っていたそうです。
安楽寺は道真公の墓所となった寺で太宰府天満宮の起源とされるそうです。
奇御魂神社 祭神
道真公の奇魂 → 文芸・歌道上達の神
奇御魂神社 由緒
不思議や奇跡を起こす特別な力を持った神霊を奇御魂という。
東福寺の開祖・円爾国師の前に現れ、「宋に飛び一日にして禅の奥義を習得した」と告げたそうです。その姿が唐衣をまとい梅の花を持った道真公であったと伝えられます。
社殿
鳥居があります。
社殿です。大きいです。
右側からの写真です。
野見宿祢神社/豊国神社/一夜松神社
野見宿祢神社 祭神
野見宿祢 → 武芸・スポーツ上達
野見宿祢神社 由緒
道真公の十九代前の先祖。
垂仁天皇の御前試合において、最強の力士を豪語する当麻蹴速を打ち破り相撲の祖と仰がれます。のち、野見宿祢は朝廷に仕え古いしきたりを改めた功績で土部(はじ)の姓を賜ったそうです。
豊国神社 祭神
豊臣秀吉公 →開運・立身出世の神
豊国神社 由緒
北野天満宮の崇敬が篤く天正15年に境内で北野大茶湯を催しします。
現在の本殿の造営を遺命としたそうです。
一夜松神社 祭神
一夜千松の霊 →延命長寿の神
一夜松神社 由緒
北野天満宮の創建に先立ち「私の魂を祭るべき場所には一夜にして千本の松を生じさせる」という道真公のお告げで北野の地一帯に生えた松に宿る神霊。北野天満宮の境内に松が多いのはこの名残とのこと。
社殿
入口の鳥居の手前には川が流れています。
鳥居です。
社殿です。
3社の額が掲げられています。
庭園
このエリアには川が流れており、素敵な雰囲気です。
このような池もあり、
いい感じの橋も架かっています。散歩にもいいですね。
こちらは、紅梅殿です。
摂社・末社(三光門手前)
福部社
祭神
十川能福(そごうのうふく)→開運招福の神
由緒
道真公の舎人(牛舎をひく牛の世話役)
祭神名や社名から福の神として崇敬を集めるようになったようです。
狂言「福の神」が節分の日に奉納されるようです
社殿
福部社の社殿です。
白太夫社
祭神
渡会晴彦(わたらいはるひこ)翁 →子授けの神
由緒
道真公の父・菅原是善卿は世継ぎの誕生を伊勢神宮の神官である祭神に託したそうです。
そして豊受大神(外宮)に祈願し産まれたのが道真公とのこと。
それ以来、数十年にわたって守役としての役目を果たしたそうです。
社殿
白太夫社の社殿です。
火之御子社
祭神
火雷神(からいしん)→雷除け、五穀豊穣の神
由緒
天満宮の創建以前(天暦元年:947年)から鎮座し「北野雷公」と称え祭られていたそうです。
記録によると、元慶年中(880年頃)に太政大臣の藤原基経が五穀豊穣を祈願し北野雷公を祭り、以来毎年丁重な祭典が続けられてきたとのことです。
社殿
火之御子社の社殿です。
摂社・末社(本殿の裏)
地主神社
祭神
天神地祇 →日本中の神様
(相殿)敦実親王、斎世(ときよ)親王、源英明朝臣(みなもとひであきあそん)
→菅原道真公の血縁など所縁の深い3方
由緒
『続日本紀』に承和3年(836年、道真公の亡くなる前)2月1日に「遣唐使のために祭る」と記載されており、天満宮以前より鎮座している神様です。
社殿
赤く鮮やかな社殿です。
老松社
祭神
島田忠臣(ただおき)翁 → 植林・林業の神様とのこと
由緒
道真公の家臣と伝えられています。
配流先の大宰府で無実を天の神に伝えるために天拝山に登る際に、道真公の笏(しゃく)を預かったとされます。また、松の種も預かっており現地で撒くようにたくされたそうです。
(道真公が亡くなり北野天満宮に祀られた際に、松が一夜で生じたという伝説も・・・)
社殿
シンプルですが、少し大きめの社殿です。
摂社・末社群(十二社)
神様の名前を控え漏れておりました。
社殿のみ紹介させて頂きます。
祭神
寛算社(祭神:寛算入寺)
大門社(祭神:大門内供奉)
橘逸勢社(祭神:橘逸勢)
藤太夫社(祭神:藤太夫吉子)
文太夫社(祭神:文屋宮田麿)
淳仁天皇社(祭神:淳仁天皇)
太宰少貳社(祭神:藤原広嗣)
老松社(祭神:島田忠臣翁)
白太夫社(祭神:度会春彦翁)
櫻葉社(祭神:伊予親王)
吉備大臣社(祭神:吉備真備公)
崇道天皇社(祭神:崇道天皇)
寛文9年(1669年)に一つずつ建てられていた末社を長屋形式で纏める形で再建されたそうです。
社殿
長屋形式で複数の神様が祀られています。
もう1つ写真をご紹介します。
摂社・末社(本殿の西側)
七社
祭神
那伊鎌社(祭神:建御名方命)
一拳社(祭神:一言主神)
周枳社(祭神:天稲倉宇気持命・豊宇気能媛)
宰相殿社(祭神:菅原輔正卿)
和泉殿社(祭神:菅原定義卿)
三位殿社(祭神:菅原在良卿)
大判事社(祭神:秋篠安人卿)
寛文9年(1669年)に一つずつの末社を長屋形式で纏める形で再建されたそうです。
社殿
長屋形式です。
めちゃくちゃ横からの写真しかありませんでした
四社
祭神
夷社(祭神:事代主命)
松童社(祭神:神太郎丸)
八幡社(祭神:誉田別尊)
若松社(祭神:若松章基)
寛文9年(1669年)に一つずつの末社を長屋形式で纏める形で再建されたそうです。
社殿
長屋形式です。社殿です。
神明社
祭神
天照大御神、豊受大御神
社殿
神明社の社殿です。
文子社
祭神
多治比文子
※上の文子天満宮を参照ください
社殿
文子社の社殿です。
その他
宝物殿です。こちらで、鬼切丸も展示されているようです。
御朱印
御朱印の種類
こちらは、北野天満宮で頂ける御朱印の種類です。
書置きの御朱印のみとなっていました。
他のお寺と連動している御朱印もあるようです。
私が頂いた御朱印
一般の御朱印(一体500円)
本社の御朱印です。
文道大祖・風月本主の御朱印です。
至誠の御朱印です。
和魂漢才の御朱印です。
特別御朱印 (一体1,000円)
お牛さまの御朱印です。2種類ありますが、私はこちらを選択しました。
鬼切丸の御朱印です。2種類ありますが、私はこちらを選択しました。
令和の御朱印です。
フェルト御朱印(特別御朱印のおまけ)
鬼切丸、及び令和の御朱印にはフェルトの御朱印が付属していました。
こちらはサンプルです。
3種類の特別御朱印なので、私は下記の3種類を選択しました。
白色のフェルト御朱印。また、鬼切丸の御朱印にはシールもありました。
赤と黒のフェルト御朱印です。
住所・行き方
住所・地図
〒602-8386 京都府京都市上京区馬喰町
行き方
京都市バス、北野天満宮前下車 すぐ
さいごに
京都の北野天満宮をご紹介しました。
参拝時には大雨に見舞われてしまいましたが、いい景色も見れました。
受験生なのか若いかたの参拝も多かったです。
また、御朱印の多さも魅力的です。
値は張りますが、フェルト御朱印も付属していたため満足です。
七不思議も含めて、ぜひ北野天満宮を満喫してみてください。
皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!
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