目次
はじめに
生田神社・裔社の8社巡拝の8社目・七宮神社をご紹介します。
六宮神社と八宮神社は合祀されていたため、私の参拝順序としては最後になります。
正直に話しをすると、ここに来る直前でかなり憔悴してしまっており、
また、脚がかなり痛かったため、湊川神社からタクシーで七宮神社まで移動しました。
(※かなり寄り道をしてしまったことが原因です・・・)
駅からも少し離れているため、ご注意ください。
では、七宮神社を見ていきましょう!
8社の総集編はこちらで公開します。
是非ご覧くださいね。
御祭神
主祭神
大己貴命
島根・出雲大社の祭神である、大国主命と同一の神とされます。
その他、大国主命、大物主神、葦原醜男、八千矛神、大国玉神、顧国王神の6つの名を持つとされ、7つの名前を持つと言われています。
(その他にもあるようですが・・・)
一宮神社のある資料では、活津彦根命とありました。
素戔嗚尊と天照大御神の誓約によって産まれた、男神です。
生國魂神社の祭神とも同神とされます。
大己貴尊が兵庫の地を開拓されたとして称えられています。
相殿
大日霊貴命
天照大御神のことと言われています。
生田神社の祭神でもあります。
天児屋根命
天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出しました。
邇邇芸命の天孫降臨の際に随伴しており、中臣氏の祖とされています。
生田神社誌によれば天児屋根命は、天照大御神と素盞鳴尊の剣玉を交換して誓約された際にお生まれになった五男神の一柱であるとされ、ご一緒に奉斎されています。
北風家の氏神とされます。
下記、枚岡神社の祭神でもあります。
御由緒
神戸八社巡りのホームページ(https://www.shoko-dw.com/shrine8/index.html)です。
社格
元県社
旧八部郡兵庫津鎮守
御由緒
創建の由緒
創建年代は不詳とされます。
平安末期の平家が隆盛している頃に記録が残っているため、創建後1000年以上が経過していることは確か、とのことです。
七宮神社の由来
下記の2説があるようです。
神戸8社巡りの1社の由緒を持つことは確かです。
- 神宮皇后が201年、三韓征伐凱旋後に生田神社を創建するにあたり7番目に巡拝したことを起源とする説
- 主祭神の大己貴命が7つの名前を持つとされることを起源とする説
神戸港の造営伝説
平清盛が福原遷都計画と共に、経ヶ島築島の大工事が平清盛の命令で始まりました。
しかし、防風で中々工事が進みませんでした。
調べたところ、築造に必要な土砂を採取していた塩槌山に住む神の祟りと分かりました。
その山に祀られていたのが、大己貴命でした。
そのため、大己貴命を祀りました。
兵庫の津北浜の産土神として、応保3年(1163)、神恩感謝の為、自筆の南無七大明神の神写と金幣を併せて奉納したそうです。そうすると、無事に竣工したそうです。
平家一族の崇敬特に厚き事、『平家物語巻六経島の事』に記載があります。
なお、元々は会下山の南麓の集落で北風家が祀っていたそうです。
上記の出来事で現在の七宮町に移築し祀ったそうです。
海上の守護神
1799年(寛政11年)、淡路島・五色町出身の豪商が船三隻の模型を神社に奉納し航海安全を祈願したそうです。
それ以来、海上業者は七宮神社を参拝するようになったそうです。
なお、奉納されてきた模型は、先の大戦で焼失したとのこと。
訪問記
入り口
正面
南側が正面の入口になります。
参道は周りの家に囲まれています。
社号標と鳥居です。
鳥居の奥に大きな樹が1本あるのが印象的でした。
左側
簡易の鳥居と社号標があります。
こちらから出入りする人が多いと思います。
手水舎
手水舎です。
手水桶です。
拝殿・本殿
拝殿です。狛犬が沢山いました。
「兵庫大神宮」と書かれた、社号標が気になりました。
右側からの写真です。
お参りしました。
拝殿には碇が置かれていました。
また、扉の両側には(切れていますが)大関と白鶴の看板が置かれていました。
お酒の業者さんにも崇敬されているようです。
拝殿前には折れた灯篭のようなものが置かれていました。
阪神淡路大震災の影響でしょうか・・・。
その他のお社
本殿の右側に小さなお社が鎮座していました。
稲荷神と思われます。お社名は記載されていませんでした。
春には、近くに桜の花が咲きます。
境外摂社:西出鎮守稲荷神社(チヂミ神社)
御由緒など
祭神:
宇賀魂命 商売繁盛、交通安全、防火守護
御由緒:
神社の沿革は定かではないそうです。
寛政年間(1789年~)には鎮座していたそうです。ちぢみさんとして西出町住民に親しまれているそうです。
なぜ、ちぢみさんなのかは不明なようです
踊り:兵庫木遣音頭(神戸市登録無形民俗文化財)
平清盛が福原(神戸)に都を造営しているとき、紀伊(和歌山)の熊野から巨材を運ぶ際に唄われた歌、ということです。時代を経て、兵庫の津、十二浜の氏神である七宮神社の祭典の名物として現在も名残を止めている、とのことです。
歌の1つに、下記があるそうです。
「梅は岡本 櫻は生田、松は兵庫の湊川」
社殿など
入口の鳥居・参道
入口の鳥居です。
手水舎です。
手水桶です。水が張ってありました。
社殿
狛狐さんと社殿です。
綺麗な桜がありました。通りすがりで撮影されている方もいらっしゃいました。
社殿です。
お参りしました。
なんと・・・!中にはビリケン様が!!!どうして!?
空洞になっている体の中から、「永政天大」「昭和5年10月5日」「ビリケン菩薩」と書かれた小石が出てきたそうです。その頃に作成されたと考えられているようです。
ビリケンさんは1908(明治41)年に米国の女性彫刻家が夢に見た神様がモデルとのこと。戦後のビリケンさんは、国内に2体。もう1体は東出町の松尾稲荷神社に祀られているそうです。
摂社・末社 日向神社(安産・出産の神様)
日向神社です。なぜか狛犬が閉じ込められています。
入口がちゃんとあるって、しっかりしていますね。
小さなお社です。
もう1社、白龍神社(浄水守護)が鎮座しています。
平経俊公の墳
祭神:平経俊公 夜泣きの神様
平経俊(若狭守経俊)は、平清盛の甥で一の谷合戦で華と散った平敦盛の兄です。
湊川の合戦で敗走し西出の浜へ落ち延びているところを源範頼の郎党に打ち取られ、当地で落命となったようです。
落命時は18歳。明治期に3月7日を命日としご例祭を執り行っているそうです。
入口の鳥居の右側に鎮座しています。
入口です。
墳です。
御朱印
七宮神社の御朱印です。
西出鎮守稲荷神社(チヂミ神社)の御朱印は未確認です。
社務所です。
割と立派な建物が建てられています。
七宮神社の社務所が開いているのは、16時までだそうです。
神戸市交通局の冊子は、一律17時のような記載もあるためご注意ください。
住所・地図
住所
七宮神社
〒652-0831 兵庫県神戸市兵庫区七宮町2丁目3−21
西出鎮守稲荷神社(チヂミ神社)
〒652-0822 兵庫県神戸市兵庫区西出町680
行き方
神戸駅を南側へ出て西へ向かいます。
そのまま、高速道路に沿って歩きます。
西出鎮守稲荷神社がこちらです。
神社の向こうに見える歩道橋を対角線に渡ると、七宮神社です。
最後に
生田神社・裔社の8社巡拝の8社目・七宮神社をご紹介しました。
福原の都・神戸の港を造営する際に山から運んだ土砂。
そこに祀られていた神様が、大己貴命であった。
そのため、七宮神社がこちらに遷座した、という言い伝えが残っています。
その後、七宮神社は神戸の港の守護神と考えられてきたようです。
根本の部分は滅失してしまっているため、文献を頼りにするとこの頃でないと詳細が分からない、ということかもしれません。
いづれにせよ、生田神社 裔社の1社と考えられております。
ぜひ、七宮神社にもご参拝ください。
併せて、8社の総集編はこちらで公開します。
是非ご覧くださいね。
では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!
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