(兵庫)廣田神社を訪問。西宮の語源となった兵庫での唯一の二十二社。阪神タイガース優勝祈願の地(RX100 M7)

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はじめに

兵庫県、西宮に鎮座している廣田神社をご紹介します。

創建201年、神功皇后により創建された古社です。
天照大御神の荒魂を祀り、二十二社の1社。朝廷より西の宮と称された神社です。

毎年、阪神タイガースが1月に優勝祈願で訪れていることでも有名ですね。

では、廣田神社を見ていきましょう。

祭神

天照坐皇大御神之荒御魂

伊勢神宮・内宮に祀られている天照大御神。
その、アマテラスの荒魂が祀られているのが廣田神社です。

廣田神社の由緒書きには、「勇猛果敢で活動的進取的な霊験あらたかな御魂」とありました。

御由緒

社格

各社格

式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。
(二十二社については、下記参照ください)

旧社格は官幣大社
現在は神社本庁の別表神社

二十二社

廣田神社は、神社の社格の一つである二十二社の1社です。
国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた神社を指します。

京都・奈良の神社が多い中、兵庫県からは唯一廣田神社が二十二社の1社(下八社)に選ばれています。(都が京都にあった都合と思われます)

御由緒

創建の由緒

日本書紀によると、西暦201年、三韓征伐を終えて、韓国から神功皇后が戻ってきます
その際に難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなります

そこで兵庫の港に向かい、神意を立てます。
そうすると、天照大神の託宣があります。

「我の荒魂を皇居に近づけしむべからず。御心広田国に居らしむべし」

そのため、神功皇后は山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀らせます。
これが廣田神社の創建起源であるとされています。

なお、三韓征伐の前にも天照大御神のご神託により
和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導く」とあったようです。

こちらは、古代の西宮・芦屋の地形だそうです。
廣田神社が海に近かったことが分かります。

また、本住吉神社でご紹介した古代の沿岸線にも通じますね。
長田神社、生田神社、本住吉神社、廣田神社は船が進まなくなった神功皇后によって創建されたため、由緒が同様となっており、201年となっています。

尚、当初は甲山山麓の高隈原に鎮座していたそうです。
(現在の西宮市の五月ヶ丘と比定されているそうです)
後に御手洗川(廣田川)の川辺に遷座していたそうですが、水害がひどかったようです。

享保9年(1724年)に江戸幕府将軍の徳川吉宗により廣田山の現在地に遷座したとのこと。

神戸 住吉 本住吉神社 神功皇后 だんじり 御朱印

西宮の地名の由来

古来から、文献に廣田神社のことを「西宮」と呼んでいたとする記述があるそうです。
(廣田神社の略記より)
そこから西宮という地名が生まれた、とのこと。

この西宮は、上記の二十二社の制定にも関わっていたでしょう。
天照大御神を祀る、西いっぱいに出向いた神社(当時、神戸の須磨は都から落ちた西の場所・・・という記述が源氏物語にも登場しますよね)が廣田神社だったと思われます。

なお、当時の廣田神社はとても力をもっており、西宮戎神社も廣田神社の末社・戎社から分離・独立されたもの、とされているようですよ。

阪神タイガースの優勝祈願

毎年1月のキャンプイン前に、阪神タイガースは廣田神社にて優勝祈願をされているそうです。
その時の写真が飾られていました。

また、優勝祈願をされていることからか、廣田神社では阪神タイガース絵馬も取り扱っているようですよ。阪神ファンの方はぜひ!

訪問記

参道と一の鳥居

一の鳥居よりも南側、阪急電車の線路沿い近くに廣田神社の入口があります。
かなり離れているのですが、驚きました。

更に北上して、廣田神社の入口です。
バス停の廣田神社前は、もっと北上した場所にあります。

廣田神社の一の鳥居です。
元々は、馬場先(入口)とされていた場所で、中世の頃からここに駒(馬)を止めて参詣していたそうです。こちらは、旧街道に沿っているそうですよ。

鳥居をくぐって参道を進みます。

下から登ってきたら、ここで直角に折れ曲がります。

向こうに鳥居が見えますね。
尚、バスで廣田神社に来ると、ここから廣田神社に入っていくことになります。

二の鳥居と参道

二の鳥居

廣田神社の社号標と二の鳥居です。

とてもシンプルな造りの鳥居ですね。

注連柱

二の鳥居を抜けると、すぐに注連柱です。
直角に折れ曲がった参道、ここまで鳥居が3つ。中々に多いですね。

縄を通してあるだけの簡易的な鳥居ですね。
興味があったため、アップで撮影しました。

もう少し進んでいきましょう。とても大きな灯篭ですね。

灯篭を過ぎると、もう1つ注連柱です。
これで鳥居に準ずるものが4つあることになります。

こちらの注連縄は、

こちらの注連柱の近くにあったのが梛(なぎ)の木です。
熊野三山や春日大社の御神木でもあるそうです。

なぎ=凪と考えられ、穏やかな夜をもたらしてくれる霊木と考えられています。

2つ目の注連縄を過ぎると、曲がり角にやってきます。

手水舎

廣田神社の手水舎です。

参拝した時期では、まだ通常の手水の状態でした。

御神水

手水舎の近くに御神水があります。
私が訪問した際は、工事をしているところでした。ちょっと残念・・・。

神池

これまた手水舎の近くに神池があります。
小さな池です。

本殿

拝殿・本殿

では、本殿へ向かいましょう。
狛犬が出迎えてくれています。

とても広々と開放的な雰囲気を感じます。
阪神タイガースの選手がぞろぞろと歩いていても十分そうですねw

廣田神社の拝殿正面です。
ちょっと伊勢神宮っぽいな、と思っています。皆さん、どう思われますか?

拝殿へ到着しましたので、ご参拝しました。

拝殿と本殿の間には小さい川みたいなものがあり、三方から橋で渡るようになっていますね。
参道の折れ曲がり方、鳥居の多さと言い、荒魂ということもあり、怨霊神ということでしょうか。

本殿は拝殿から遠く、屋根を見ることが難しくなっています。
こういった造りも珍しいと感じました。

もう1枚。こちらは、右から撮影した写真です。

拝殿を横から撮影したものです。

干支の絵馬が印象的ですね。

脇殿(右)

第一脇殿

祭神:住吉三前大神
(筒之男三神)

第二脇殿

祭神:八幡三所大神
(應神天皇、神功皇后、仲姫命)

右の脇殿のお社です。
上記干支絵馬のすぐ右手から拝むことができます。

脇殿(左)

第三脇殿

祭神:諏訪健御名方富大神
(大国主の御子神)

第四脇殿

祭神:高皇産霊大神
(宮中八神殿の主神)

脇殿の入口です。本殿の両脇に参拝口が設けられています。

第三・第四脇殿の社殿です。

参考までに、脇殿は本殿とは分けて建てられています。
仕切りが造られていることが分かると思います。

摂社:延喜式内社 伊和志豆神社

祭神:伊和志豆之大神

創立年代は不明です。
859年、清和天皇の時代に従5位に進み延喜の制では官幣小社に列せられています。

一説では、御祭神は彦坐命(開化天皇の皇子である日子坐王;神功皇后は4世孫)ではないかと言われているそうです。
元々は廣田神社の境外に祀られていましたが、大正六年に境内に移転となったようです。

拝殿の左に鎮座しています。
前に鳥居が建てられています。

伊和志豆神社の社殿です。
石で作られており、祠のような印象ですね。

※式内社らしく、御朱印も用意されています。

その他境内の摂社・末社

齋殿神社

祭神:葉山媛命

廣田神社創建の際、神功皇后の命を受けて神社創建がされた際の最初の斎宮(いつきのみや;天照大御神を祀る巫女さん)とされているのが葉山媛命です。
元は境外に祀られていましたが、1727年に境内に遷されたそうです。

齋殿神社の社殿です。
拝殿への階段の右手に鎮座されています。

屋根の丸みが印象的ですね。

松尾神社

祭神:記載ありませんでした。

松尾神社の社殿です。
1社だけになっていて、右に鎮座している五末社と違いがあります。

社殿が分かれているのは、海側に酒造会社があることが原因ではないかと思われます。
松尾神社の元になっていると思われる、松尾大社は下記参照ください。

五末社

右より

八坂神社
子安神社
春日神社
地神社
稲荷神社

五末社の神社の一覧です。
石に神社名が彫られています。

五末社の社殿です。長屋の中に、5つの扉があります。

八坂神社は、こちらの記事も参照ください。

松尾神社と五末社は隣り合っています。
それぞれお参りしましょう。

境外摂社

西宮神社の境内に鎮座している、廣田神社の摂社である南宮神社です。
詳細は、西宮神社を紹介する際に。

御朱印は廣田神社で頂くことができます。

廣田神社には、剣珠と言われる秘宝があるそうです。
直接拝むことができませんが、こちらパンフレットより。日本書紀に出てくる、「如意玉」の元と言われているそうです。

元は、南宮神社で祀られていたそうですよ。

その他にも岡田神社や名次神社もあります。
それらは現状では行くことができていないため、御朱印も頂いてません。

廣田神社ではマップを提供してくれていました。

その他

廣田神社の周辺は、広田山公園といいツツジで有名とのことです。
ツツジは4月から6月にかけて咲くそうですので、調整できればぜひツツジの時期にどうぞ。

コバノミツバツツジは、20,000株も群生しているそうです!!

神社の周りを歩く山道(?)にも通じていました。
もし時間のある方は。

上記に関連して、廣田神社では野鳥も多いでそうです。
鳥を撮影するのが好きな方や、鳥好きの方はぜひ。

廣田神社の二の鳥居から道路沿いに進んだ場所(鳥居から右手)に、石碑があります。
こちらは、兜麓低績碑というそうです。

1641年の干ばつの際に、廣田神社の神職だった中村治部紋左衛門により引水工事を行った際の記念碑です。工事で争いが起こりそうになった際に、天狗のふりをして争いを未然に防いだことが記されていました。

御朱印

廣田神社の御朱印です。

天照大御神荒魂の御朱印です。

伊和志豆神社の御朱印です。

境外摂社である南宮神社の御朱印です。

住所・地図

〒662-0867 兵庫県西宮市大社町 7番7号
阪急「西宮北口駅」、阪神「西宮駅」、JR「西宮駅」よりバス乗車、廣田神社前下車

最後に

廣田神社をご紹介しました。

山の中腹に鎮座しているため、駅から徒歩で訪問するには難しい距離です。
車かバスで訪問ください。

二十二社の1社でもあり西宮とも言われていました。
神功皇后が201年に創建した神戸の複数の神社の中でも、頭1つ抜けでているようですね。

参道はとても広くて参拝していて気持ちが良かったです。
廣田神社を訪問される際の参考になれば幸いです。

では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デアゴスティーニ

デル株式会社

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