(滋賀)近江神宮を訪問。ちはやふるや名探偵コナンの舞台になったカルタの聖地。大津京が造成された天智天皇の夢の跡(α7Ⅲ)

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はじめに

滋賀県に鎮座している、近江神宮を訪問してきました。
近江神宮は、34代天皇である、天智天皇が都を遷したとされる大津京に鎮座しています。

カルタの聖地とされ、漫画・映画の『ちはやふる』であったり、名探偵コナンの映画『から紅の恋文』の舞台となっている場所でもあります。

とても綺麗な楼門が印象的な神社です。
ぜひ、ご覧ください。

祭神

近江神宮のHP(http://oumijingu.org/publics/index/167/)より

天智天皇

天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ)

第34代舒明天皇の皇子で、中大兄皇子と申し上げ、1370年の昔、皇太子として藤原鎌足とともに蘇我一族の専横を除去遊ばされ、大化改新(645年)を断行した、とされます。

古代社会の転換期に、大陸からの圧力により存亡の危機に直面していた時代に、国家確立の大本を打ち立て、中興の英主と称えられています。

特に天智称制6年(667年)都を奈良の飛鳥より近江大津宮へ遷します。
大津宮では、わが国法典の源をなす「近江令」を制定、学校制度を創始して国民教育の道を開かれ、また戸籍の制定(庚午年籍)土地制度の改革(班田収授)、当時最新の科学技術を駆使して産業振興を図るなど、次々に新時代に向けての政策を推進し、政治経済の改革・学芸文化の創造発展に寄与されました。

時の祖神 開運・導きの大神
     文化・学芸・産業の守護神

※天智天皇に関する漫画

御由緒

近江神宮のHP(http://oumijingu.org/publics/index/167/)より

社格

旧社格

官幣大社

現在

神社本庁の別表神社
勅祭社

由緒

創建の由緒

ご鎮座は昭和15年11月7日で、令和2年11月に80周年を迎えました。

神社としての歴史は新しいのですが、滋賀県・近江国の発展は大津宮に都をおかれたことに始まるとして、古くから湖国では天智天皇に対する崇敬が厚く、天智天皇に関係する伝説や神社など、県内各地に残されています。大津市が古都保存法によって古都として指定されているのも、大津宮遷都にもとづくものであり、1350年の歴史に立脚する神社といえます。

明治30年ころから滋賀県民の間に天智天皇を祀る神宮の創建運動が高まり、昭和に入って昭和天皇の御勅許を賜わったことで、滋賀県民を始め全国崇敬者の奉賛により創建されました。

境内地は約6万坪。
社殿は近江造りあるいは昭和造りと呼ばれ、山麓の斜面に本殿・内外拝殿を回廊が取り囲みます。
平成10年より国の登録文化財として登録されています。

大津京

667年、斉明天皇の時から都を置かれていた飛鳥岡本宮より、近江大津宮に都を移しました。

それまでの多くの都が置かれた飛鳥近辺から離れたこの地ですが、ひとつには、大化の改新の理想に基づいた政治改革を行うために人心の一新を図ることを目的とされました。
それとともに、同盟国であった百済への援軍を出して唐・新羅連合軍と戦った、4年前の白村江での敗戦後、本土侵攻への危機が深刻になります。
国土防衛の根幹として、天然の要害であり交通の要衝でもある大津に遷都したと考えられています。

しかし、5年後に起った壬申の乱の敗戦によりわずか5年半に終ります。

但し、宮跡の所在については江戸時代より諸説があり、論争が続きます。
この論争は、昭和49年からの発掘調査で錦織がその中枢地区であることが確定的となります。

近江神宮駅から近江神宮への道すがら、発掘跡が多数ありました。
下記のような空き地が多数存在しています。

発掘跡であると看板も掲げられていました。

その他

時計の博物館

天智天皇は、漏刻(水時計)を造ることにより、
社会生活の基本である時報を始めたそうです。

6月10日の「時の記念日」は近江朝廷で時報が開始された日を記念して大正9年に制定されたもので、毎年この日には近江神宮を時の祖神として崇敬する時計関係者の方々が中心となり、賑々しく漏刻祭が斎行さるそうです。

境内には「時計館宝物館」が設けられ、和時計をはじめ各種の古時計などを展示しています。
また境内に設置された水時計や日時計は、時計業界からの献納によるものです。 

火時計

古代中国で使われていたと伝えられる約4000年前の火時計です。
龍が印象的ですね。
昭和54年にロレックス社から奉納された、とのこと

お腹のあたりに約14個の銅球が吊り下げられています。
糸の下を線香の火が糸を焼き切り、球が落下。時を告げるそうです。
1間隔が2時間を示すように作られている、とのこと。

漏刻

天智天皇御創始の漏刻だそうです。
昭和39年オメガ社総代理店から奉納された、とのこと。

漏刻は水の流れ方が一定であることを利用したもので、四段の水槽の上段から順々に水が落ちていき、最下段の水槽に水が入ると、その水の量が増すに従ってそこに浮かべてある矢が浮き上がり、矢に付けた目盛を読むことにより時刻を知るようにしたものです

天智天皇は、その10年(671)4月25日に漏刻を作り、大津宮の新台に置いて鐘鼓を打って時報を開始しました。

その10年ほど前、斉明天皇の6年(660)にも中大兄皇子が漏刻を作られたとの記述があり、どちらにも「初めて」と書かれているので、その関係はよくわかっていません。そして斉明6年の方には日付がないので、天智10年のその日を太陽暦(グレゴリオ暦)に直して6月10日を時の記念日とされました。

この時の漏刻がどのようなものであったのか、文献には全く記載がなく、不明というしかありません。飛鳥の水落遺跡は斉明朝の漏刻の跡ではないかとされていますが、漏刻そのものが出土しているわけではありません。

漏刻・水時計そのものは、古く3500年前からエジプト・バビロニアで使われていたことが確認されており、中国でも前漢のころの文献にも出土品にも残され、この後多くの文献に図面や絵、また実物も残されており、この中国から伝わった知識のもとに日本でも作られたと考えられます。

上記の中国の文献などをもとに江戸時代の日本の文献にも描かれたものがあり、それらによって近江神宮の漏刻も水落遺跡の漏刻模型も推定され、製作されました。

詳細は近江神宮のHP(http://oumijingu.org/publics/index/167/)に記載されていました。

日時計

上記2つ以外に、日時計が置かれています。
日時計その1です。

日時計その2です。

神社の方角が記載されていました。

石油について

また越の国(新潟県)より大津宮に「燃ゆる水(原油)・燃ゆる土(天然アスファルト)」が献上された日本書紀の記事があります。

これは、わが国の文献における「石油」の初見であり、ほかにも各種の科学技術を積極的に使用されたことが記録からうかがえます。

競技カルタの聖地

かるたに関する展示など

百人一首のカルタが掲示されていました。
天智天皇もいらっしゃいますね。

数は数えていませんでしたが、100枚全部ありそうです。
ここには紀貫之さんがいらっしゃいますね。

カルタに関するグッズなど

ちはやふる(映画)のDVDです。

ちはやふる(漫画)です。

また、名探偵コナンの『から紅の恋文(ラブレター)』の舞台にもなりました。

ちなみに、百人一首をやりたいと思ったら、ぜひこちら!!

訪問記

一の鳥居・参道

一の鳥居

一の鳥居です。社号標もあります。

一の鳥居です。木製で立派な鳥居です。

かるたの聖地という看板が掲げられていました。
競技カルタを漫画にした、ちはやふるの舞台になっていましたしね。

参道

長い参道が続きます。
本来は不可だと思うのですが、犬を散歩させている人もいらっしゃいました。

そうすると、2つ目の鳥居が見えてきます。

ニの鳥居、手水舎

二の鳥居

階段を登ります。ニの鳥居です。
一の鳥居と同様に、木の鳥居です。

鳥居をくぐると、多くの句碑がありました。

こちらも、同様に句碑です。

手水舎

二の鳥居をくぐり、右手に向かうと手水舎です。

こちら、龍が水をくれる手水舎です。
現在はビニールパイプから水が出るように改良されていました。

楼門

手水舎のすぐ右手に階段があり、楼門が見えます。
この楼門は、近江神宮の代名詞ですね。

やはり、何度見てもキレイな楼門です。

少し近づいてみました。

こちらは、境内からの楼門です。

もう1つ楼門です。少し上側から覗いてます。
印象変わりますよね。

拝殿・本殿・回廊

外拝殿

楼門をくぐると、外拝殿が見えます。

こちらは、右から外拝殿を見ました。

こちらは、左からです。とても綺麗な拝殿です。

階段を登って行きます。
外拝殿をくぐります。

拝殿

拝殿です。賽銭箱から内側に行くことはできません。

綺麗な建物です。

拝殿の中をのぞくのは難しそうです。

とても広い敷地です。

本殿

本殿は直接見ることはできません。
見るのはとても難しい構造になっています。

ちらっと屋根だけ見ることができました。

右からです。少し本殿が見えますね。

回廊

近江神宮は、正面からだけではなく左右に伸びる回廊からも参拝できます。

こちらは、左側の回廊です。
スロープになっているため、車いすやベビーカーでも参拝できます。

こちらは、中央側の回廊です。

こちらは、内拝殿右側の通路です。

摂社・末社

栖松遙拝殿

遥拝式が行われる全国社寺遥拝所。かつて高松宮家の邸内社・御霊殿として有栖川宮家以来の御霊を祀っていた建物です。高松宮家廃止にともない、近江神宮御創建当初からの高松宮殿下との御神縁により、平成18年近江神宮に移築されました。有栖川宮家の「栖」高松宮家の「松」をとって名付けられました。

全体像です。

賽銭箱が置いてあります。
その奥に向かうことができます。

手前に井戸があります。

こちら、鳥居です。

拝殿です。
また、右側に小さな祠のようなお社が2社ありました。
(祭神等は不明でした)

その他境内

近江神宮の境内です。
拝殿を正面に見た際に、右の方から撮影しました。

自動車清祓所です。

明治23年建築の大津地方裁判所の玄関車寄せが、昭和46年解体・建て直しされました。
その際に近江神宮に移築されたそうです。

その他の施設として、競技カルタの海上である近江勧学館、
時計の博物館である時計館、時計学校などがあります。

御朱印、他

御朱印

近江神宮の御朱印です。

その他グッズなど

ちはやふるのクリアファイルです。

その他かるたくんトートもありました。

住所・地図

地図

〒520-0015 滋賀県大津市神宮町1−1

行き方

京阪電車・石山坂本線の近江神宮前駅で下車します。

近江神宮への経路です。

真っすぐ信号まで向かい、大通りに出ます。
(上記で右ルートです)

上記で信号を右に向かいます。
下記の大津京シンボル緑地を通り過ぎます。

こちらの交差点を右に向かうと一の鳥居に辿り着きます。
そのまままっすぐであれば、二の鳥居の手前に出ることができます。

最後に

近江神宮をご紹介しました。

楼門は、内から見ても外から見ても、とても綺麗でした。
絵になる楼門で、何枚も写真を撮ってしまいました。

その他、駅から近江神宮に向かう場合、参道の途中から入るようになります。
1度は一の鳥居から入られることをお勧めします。
とても綺麗に整備されていて、清々しい参道でした。

天智天皇に対しては、実はいいイメージを持っていなかったのですが、
時間に関する取り組みが多いのは意外でした。

ぜひ、近江神宮を訪問して確かめてみてください。

では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デル株式会社

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