(奈良)廣瀬大社を訪問。龍田と並び天武天皇時代から重視される水の神様。砂を雨に見立てた大忌祭(砂かけ祭)が有名(α7Ⅲ)

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はじめに

奈良県の斑鳩方面に建立された廣瀬大社をご紹介します。

「風神を龍田、大忌神(水)を廣瀬」と言われ、天武天皇の時代に建立された神社です。
龍田大社はこちらを参照ください。

廣瀬大社は複数の川が集まる場所に建立されています。
大忌祭の1つ、砂かけ祭がとても有名な神社です。

では、廣瀬大社を見ていきましょう!!

祭神

廣瀬大社のホームページを参考にしました(https://hirosetaisya.p-kit.com/page0002.html

主祭神

若宇加能売命

「若」は美称、「宇加」は穀物を受持ち掌り給う謂であり、「売」は女神を表します。

太古天上にて皇大御神の御膳神として忌み清まはりて其の職に仕え奉られたことから大忌神とも申されます。白鳳4年に勅使祭「大忌祭」が始まり、永保元年に神階正一位に進められました。

同神とされる神
・豊宇気比売大神(とようけひめのかみ 伊勢神宮外宮)
・宇加之御魂神 (うかのみたまのかみ 伏見稲荷大社)
・屋船豊受姫神 (やふねとようけひめのかみ 家屋守護の神)
・大物忌神   (おおものいみのかみ 鳥海山に宿る神)

水の神であり、大忌際の砂かけ祭りは降雨を祈ることから、農業主宰の大霊神であることは国史に明らかであり、廣瀬大忌神と龍田神とを水と風の陰陽神と申して風雨を調え豊かな稔りを祈ることに験があります。

神社検定のテキスト『神社のいろは 続』でも、「風神を龍田」「大忌神を廣瀬」という記述と天武天皇による祭祀開始が紹介されています。

日々祈るならば「人生一日も欠くことなく衣食住を守護される」と古書に記されていることから初宮詣や家内安全、商売繁盛の参拝に訪れられます。

相殿神

櫛玉命 (くしたまのみこと)

社伝では饒速日命を指す。社家の樋口氏は饒速日命を祖神とする物部氏の末裔であり、社家の邸宅内には饒速日命を祀る境外末社の饒速日命社があるそうです。
(※一般的には公開されていません)

饒速日命の降臨伝説の伝わる、矢田坐久志比古神社です。

石切劔箭神社の祭神の一柱が饒速日命です。

穂雷命 (ほのいかづちのみこと)

「廣瀬神社旧記」には水穂雷命は天明玉の分霊であり、「秘訣に云ふ」として坎火神(アナヒノカミ)であるとしています。
「古事記」では玉祖命(たまのおやのみこと)。勾玉作りを行っていたとされる一族の祖神です。

島根の玉作湯神社の祭神が玉祖命です。

御由緒

廣瀬大社のホームページを参考にしました

廣瀬大社の歴史:https://hirosetaisya.p-kit.com/page0003.html
砂かけ祭り  :https://hirosetaisya.p-kit.com/page0009.html

社格

延喜式神名帳記載(式内社)名神大社。
月次、新嘗、朝廷奉幣二十二社の内の中七社の一社。
官幣大社。

嵯峨天皇弘仁一三年(823年)八月三日従五位、白河天皇永保元年(1081年)七月十日正一位を授けられ、明治四年(1872年)五月十四日官幣大社となりました。

二十二社

龍田大社は、神社の社格の一つである二十二社の1社で中七社の1社です。
国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた神社を指します。

由緒

創建の由緒

崇神天皇九年(前89年)廣瀬の河合の里長に御信託があり、沼地が一夜で陸地に変化し、橘が数多く生えた。このことが天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られるようになったとされます。

龍田と廣瀬の神

大忌際について

天武天皇四年四月十日(675年)に、小錦中間人連大蓋を遣わし、大山中曽根連韓犬を斎主として大忌神を廣瀬の河曲に祀られたことが記されています。
これが毎年四月四日と七月四日に行われた大忌祭の始まりと伝えられています。

日本書紀の記述

天武天皇以降、御歴代の天皇より、風雨の調和、年穀の豊穣等の御祈願がされ国家の瑞祥、または禍害あるごとに、奉告御祈願されました。

天武天皇十三年秋七月 廣瀬ニ幸ス。  
-天武天皇十三年(684年)秋七月、廣瀬神社に行幸される。

廣瀬大社の立地について

社地は元水足池(みずたるのいけ)という広漠たる沼地だったそうです。
里長廣瀬臣藤時に御神託があり、俄に陸地となり、一夜にして丈余の橘数千株が生じた。今拝殿の西側に小池があり、これを水足池という。又、当社の社紋『橘』はこの社伝による。

天武天皇十三年七月、当社行幸のみぎり、新たに廣瀬川(現大和川)に架橋して龍駕を奉納したことから、この所を御幸瀬(ごごかぜ)と称し、橋を御幸橋(みゆきばし)と名付けられた。

大忌際の1つ、砂かけ祭について

廣瀬大社の御祭神は水神です。

砂を雨に見立てて掛け合うことから「砂かけ祭」と呼ばれるようになります。
五穀豊穣と雨水の多量を願うと共厄除けを願う祭りです。

古くは大忌祭の中で行われていた一行事ですが、現在は二月十一日が祭日となっています
祭典は、主に2種類に分かれるそうです。

  • 午前十時三十分から「殿上の儀」
  • 午後二時から「庭上の儀」

神事は木製の牛面をかぶった牛役、田人(お百姓)と早乙女が奉仕します。
砂かけ祭の様子は、Youtubeに公開されています。

廣瀬神社での紹介看板です。
砂が水(雨)に見立てられているようです。

この砂かけ祭りは、こちらの写真で、竹が置かれている場所と拝殿の間で行われるそうです。
もう少し別の場所があるかと思ったら、拝殿にかなり近い場所で驚きました。

訪問記

一の鳥居・参道

一の鳥居

廣瀬大社の一の鳥居です。
衣食住の神様としての、看板も掲げられていました。

社号標と鳥居のアップです。

参道

参道です。下っています。
木々に覆われた、とても涼しい参道でした。

左手には川が流れています。流石、水の神様です。

坂を下ると、道が真っすぐとなります。
廣瀬大社では、この参道・ニの鳥居との間に摂社・末社が鎮座しています。

狛犬が鎮座しています。

ロシア陸軍の野砲

日露戦争の戦利品であるロシア陸軍の野砲とその砲弾が奉納されて展示されています。

明治4年に陸軍大臣から奉納されているようです。

手水舎

手水舎です。

柄杓を使わなくてもよい工夫がされていました。

コロナ禍の状況では、アルコールスプレーも置かれていました。

ニの鳥居・境内

二の鳥居

龍田大社と同様、厳島風の鳥居でした。
とても立派でしっかりとした鳥居ですね。

鳥居には、廣瀬大社の額と注連縄がかけられていました。
鳥居に注連縄がかけられているのは、珍しいですね。

境内から参道を見てみました。
長い参道の様子が分かりますでしょうか。

境内

鳥居をくぐると、広い敷地になっています。
ニの鳥居をくぐると、境内には広々とした空間が広がります。

おみくじは、たちばなの木の周りにくくりつけるようです。

とても綺麗な四角に彫られていました。
どんど焼きで使うのだと思われます。

拝殿・本殿

拝殿

こちら拝殿です。
周りに木が植えられていて、緑がとても爽やかです。

もう少しアップにしました。

奥に本殿が見えます。
お参りしました。

真横からの拝殿です。

左側から見た拝殿です。

本殿

こちら本殿の屋根です。
右からはあまりよく見えませんでした。春日造になっているようですね。

こちら拝殿と本殿です。左側からならよく見えますね。

本殿前には近づくことができないようになっていました。

もう少しアップにしました。
赤に緑がとても映えますね!!

摂社・末社

八神殿社(境外:近鉄池部駅側)

祭神:

皇室御守護の神々

社殿:

入口はジェイテクトの物流センターがありました。

鳥居です。

社殿です。右隣に灯篭が建てられていました。

また、近くに大塚山古墳があります。

5世紀後半に築造された全長197メートルの前方後円墳だそうです。
(※近辺の古墳は、葛城氏の代々の墳墓ではないかと指摘する声もあるそうです)

日の丸稲荷社(境内)

祭神:

稲倉魂神(うかのみたまのかみ)

伏見稲荷大社から分霊されたそうです

社殿:

入口の鳥居です。

手水舎もあります。

拝殿です。

奥に本殿もあります。

拝殿から本殿の社殿が見えました。

日吉社(境内)

祭神:

大己貴神・大山咋神

由緒:

昭和18年に日吉大社から勧請したとのこと。
方除け・縁結びに霊験あらたかな神として信仰されているようです。

社殿:

1つ目の鳥居です。

2つ目の鳥居です。

3つ目の鳥居と社殿です。

こちらが日吉社の社殿です。
社殿の両隣りに狐がいらっしゃいます。どちらかと言えば、お稲荷さん風ですね。

祖霊社(境内)

祭神:

大国主命

由緒:

祖霊を遷し、中央に大国主命を祀っているそうです。

社殿:

祖霊社の鳥居です。

手前に拝殿があります。

こちら、祖霊社の社殿です。

鳥居の近くに百度石が置かれていました。

祓戸社(境内)

祭神:

瀬織津姫神
気吹戸主神
速開津姫神
速佐須良姫神

由緒:

祓戸4柱の大神と称え、人が犯す罪穢を祓い清めるとのことです。
(心身の汚職を祓い清めた後に本社を拝するとのことです)

社殿:

鳥居と社殿です。

こちらが祓戸社の社殿です。

水足明神(境内)

拝殿の左の方に、水足明神が鎮座されていたようです。
気付かず参拝できておりませんでした。

水分神社(境外:JR法隆寺側)

別名

若宮社、可伊止山氏神

祭神

水分神

本社「宇加能売命」の女子なり。
神号を水分神とし、水の分配を司る。
子供を守る、「御子守神」とも云うそうです。

創建

持統天皇5年(691年)

行き方

手水舎を過ぎた辺りからJR法隆寺方面へ出ることができます。
太鼓橋があります。

川の上を渡ります。

橋を渡るとすぐに赤い鳥居が見えます。

社殿

一の鳥居です。

階段を登って進みます。

敷地の奥に鳥居が見えます。

こちらが、水分神社の鳥居と社殿です。

社殿のみです。
両脇に狛犬がいらっしゃいますね。

その他の水分神社、吉野だけ参拝したことがあります。

その他:饒速日命社

宮司宅の敷地内に鎮座しているそうです。
一般の人は、参拝することができません。

御朱印

廣瀬大社の御朱印です。

住所・地図

住所・地図

廣瀬大社

〒636-0051 奈良県北葛城郡河合町川合99

摂社・八神殿社

〒636-0051 奈良県北葛城郡河合町川合1187−4

摂社・水分神社

〒636-0051 奈良県北葛城郡河合町川合40

廣瀬大社への道のり

2つの方法があります。
近鉄田原本線の池辺駅と、JR法隆寺駅から向かう方法です。一の鳥居へ向かうのであれば近鉄池辺駅、本殿に近いのはJR法隆寺がオススメです。

私は行きは池辺駅、帰りは法隆寺駅を使いました。

近鉄 池辺駅からの道のり

池辺駅を出ます。単線のため出口は1つのみです。

踏切を渡ってそのまま坂を右側に下りていきます。

坂を下りきったら、右側へ向かいます。
吉野屋やファミリーマートのある大きな通りに出ます。

そのまま北へ向かい、こちらを更に右側に折れます。

つけもとさんと書かれた場所を左に折れます。

真っすぐ進むと、八神殿社の前を通り過ぎます。
※こちらのジェイテクトさんが目印です

こちらのウォークルートに沿って進みます。

こちらの橋を渡るって看板に沿って進みます。

そうすると、廣瀬大社の一の鳥居が見えます。

JR 法隆寺駅への道のり

手水舎を過ぎた辺りからJR法隆寺方面へ出ることができます。
太鼓橋があります。(水分神社を参照ください)

水分神社を過ぎて、道なりに進みます。
右側の方へ折れていくと、このような道に出ます。

更に進むと、橋を渡ります。
大和川にかかる御幸橋です。

御幸橋を渡って左に小さな支流があります(富雄川)。
川に沿って進みます。

川を歩いていると法隆寺駅方面への案内があるため、案内に沿って左へ進みます。
そうすると、法隆寺駅に到着します。

法隆寺駅では、法隆寺と廣瀬大社の案内を示した石碑が建てられていました。

最後に

水の神とされる、廣瀬大社をご紹介しました。

訪問したきっかけは、風と水の神、龍田と廣瀬の投稿を見たことにあります。
神社検定の勉強をしていた際にもテキストに出てきたこともあります。

訪問していたら、一の鳥居から下り参道になっており、本殿まで距離があります。
その長さに水の集まる場所へ向かっている感覚を持たせてくれました。

古代から重視されてきた大忌祭(砂かけ祭)の時期ではありませんでしたが、
ぜひその時期に訪問したいと感じました。
昔からの行事を守っている氏子の皆さまには頭が下がる思いです。

もし徒歩で訪問する場合には、駅から離れているため(JRからは20分程度、近鉄からは30分弱)、体力と水分を補給しながら向かってください。

では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デル株式会社

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