目次
はじめに
兵庫県の高砂にある、生石神社(おうしこじんじゃ)を訪問しました。
日本三奇と呼ばれる、岩の宝殿が有名です。
なぜ、このような場所に、四角に切り取られた巨石があるのか。
そして、なぜ浮いたように見えるのか。
ぜひ、Blogをご覧になって確かめてみてください。。
御祭神
Wikipediaでは、生石大神などは配祀とされていますが、生石神社の説明では各祭神の別名としています。大己貴神の別名が生石大神というのが興味深いです。
大己貴神
この生石神社では、生石大神、大國主神ともいう、とされています。
少彦名神
この生石神社では、高御位大神、粟島神ともいう、とされています
社格、御由緒
社格
特にはないようです。
由緒
日本三奇とは?
文字通り、日本にある何故そこにそれがあるのか不思議なもの(理由が不明なもの)、と言われている史跡です。
生石神社の石の宝殿は、日本3奇の1つとされています。
- 宮城県鹽竈神社の塩竈
・・・なぜ釜が地中に埋められているのか、そしてそれが鳴るのか - 鹿児島県霧島神宮の天逆鉾
・・・なぜ、高い山の上に鉾が刺さっているのか - 兵庫県生石神社の石の宝殿
・・・なぜ、宙に浮いて見える大きな石がそこにあるのか
生石神社の由緒
神社に伝わる生石の伝承
その昔、天神(あまつかみ)の勅命により、大己貴神と少彦名神が出雲から宝殿山の地を通りかかります。そこで仮宮を建てて滞在します。
その際に、一夜で石宝殿を刻んだとされています。
しかし、工事中に天佐久売から麓の里で阿賀神(播磨の土着の神)が暴れていると報告を受けます。
そこで、石の宝殿作りは中止し現在の高砂市神爪の場所に多数の神を集めて阿賀神を平定します。
宝殿作りは現状の形で残され、発生した石くずは一里北の高御位山に捨てられたとされます。そのため、高御位山の北側には、石を切った形跡がないにも関わらず、山頂から麓まで莫大な石くずがあるそうです。
創建
崇神天皇13年申日とされています。
崇神天皇の時代、国内に疫病が流行していた際に、石の宝殿に鎮まる二柱が崇神天皇の夢に現れて、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げます。
それから、現在地に生石神社が創建されたとしています。
竜山(宝殿山)に関する伝承
宝殿のある山は、夕方になると竜が眠っているように見えるそうです。
そのため、昔の人は竜山(たつやま)と呼んでいたそうです。
そして、加古川は昔「あばれ川」と呼ばれていたそうです。
こんな話がありました。
(拝殿に置かれていました。ぜひ、訪問したら読んでみてください)
訪問記
近辺の地図
神社に回りの地図がありましたので掲載しておきます。
鳥居、参道
入り口の鳥居です。
脇に弓を合わせた紋を刻んだ石がありました。
鳥居の奥に参道が見えます。険しそうです。
鳥居をくぐって参道を登って行きます。
坂はとても急ですので、参拝は運動靴にてお願いします。ヒールは危険です。
県道が途中通っています。
拝殿
県道を渡ったあとに撮影しました。坂が急であることをお分かりいただけると思います。
こちら、手前の建物は拝殿とのことです。
後ろを振り返ってみました。坂の様子がお分かりいただけると思います。
拝殿の下をくぐります。
こちらが拝殿です。現在は休憩所として利用されているようでした。
中からの景色がとてもキレイでした。
こちらの拝殿では、宝殿に関する紙芝居が読めるようになっていました。
面白かったので、由緒のところにあらすじを記載しました。
訪問したら、ぜひ読んでみてください!
本殿
神様のお社
こちらが本殿の入口です。
(ひょっとすると、楼門に近いかもしれません)
こちら正面です。さて、お参りするために向かいます。
こちらを通って本殿に行きます。
入ってすぐ左手に社務所がありました。こちらで御朱印を頂けました。
こちらが本殿です。
左と右で、祀られている祭神が異なります。
左側に大己貴神(大穴牟遅命)が祀られています。
右側に少彦名神(少毘古那命)が祀られています。
石の宝殿
本殿の真ん中を通って、石の宝殿へ向かいます。
(拝観料として、大人100円、子供が50円必要となります)
大きな石があります。本当に大きかったです。
ちなみに石の周りは、ぐるりと歩くことができるようになっています。
恐らく、水の中に入っているのだと思いますが、水が濁っている効果もあるかもしれませんが、浮いて見えますね。このような大きな石が残っているのは不思議です。
うーん、本当に大きな岩でびっくりしましたよ。
石の周りには注連縄がかけられています。
いや・・見る角度によっては浮いて見えますよねw
石の裏には、2つの小さなお社が建立されていました。
石の宝殿の周りは崖のように岩に囲まれています。
そのため、山からここだけを切り出したかのようになっています。それは後程ご覧いただきます。
一旦、石の宝殿の周りからは出ます。
山上公園
山上への道
本殿の左と右に山上公園へ続く階段があります。とても急な階段です。
こちらを登るには、本当に運動靴でないと危ないですので女性の方はお気をつけください。
こちらの階段を登って行きます。
写真では分かりづらいですが、滑りやすいですので登りも下りも慎重にお願いします。
階段の途中でも、宝殿が大きな石であることが分かります。
宝殿の裏までやってきました。
神社に関係する本、インスタや他の方のBlogでも有名な景色ですよね。
もう少し左から見てみましょう。奥には石を切り出していたような跡がありますね。
あちらは、昔の採石場でしょうか・・・。
こちら、真横から見た景色です。やっぱり岩は大きいです。
ここは本当に景色がキレイで、高砂の街をキレイに見渡すことができます。
生石神社を訪問された際は、ぜひ神社の裏まで回ってみてください。
では、階段をまだ上まで登って行きます。
宝殿山の山頂
大正天皇が訪れた際の記念碑がありました。
(って、わざわざ記念碑に残すことなんだろうか・・・)
休憩所がありました。
また、ベンチがありました。キレイな景色を見るのに丁度いい場所にあります。
山頂は平べったい形状になっています。不思議な感じです。
裏の景色もキレイでした。
空気の状態が良かったら、姫路城も見えるようです。
帰り道は気を付けてください。いやー、怖くて1足ずつ降りました。
その他
絵馬
2020年の絵馬がありました。
霊石
大きな霊石です。
こちらも、巨石信仰(=出雲系の神様で多いですよね)の1つですね。
両手を当てて、パワーを頂きました。
巨石は、拝殿の右側にあります。
また、奥に本殿の石があります。
摂社・末社
4社が祀られているお社がありました。
(左)加志磨神社
(右)恵美須神社
(左)琴平神社
(右)祖霊社
御朱印
新型コロナウイルスの影響で、書置きの御朱印のみでした。
地図、行き方
住所
〒676-0823 兵庫県高砂市阿弥陀町生石171
行き方
JR宝殿駅の南口から出ます。
高砂神社にある相生の松から出た、「尉と姥」の像が駅前にありました。
駅前に貸し自転車屋さんがあります。私は行く際に気付かなかxsつたのですが、レンタサイクルをオススメします。ここから徒歩25~30分の道のりですので・・・。
近藤商店の左の道を進みます。
道なりに真っすぐ進みます。
島という交差点に突き当たるため、ここも道なりに真っすぐ進みます。
道を進むと、まっすぐ山の中腹に社殿が見えます。
途中、高砂市の総合運動公園がありました。
近づいてくると、社殿のインパクトが大きいですね。
手前で川を渡ります。おそらく、法華山谷川というはずです。
川を渡ってしばらく進み、山側へ登って行きます。
県道のようですが、とても狭い道です。車の方はお気をつけください。
あそうすると、生石神社の鳥居が見えますので到着です。
最後に
兵庫の加古川・高砂にある、生石神社(おうしこじんじゃ)を訪問しました。
有名なだけあってどんなものかと思いながら向かったのですが、石の大きさにかなりビックリしました。石の宝殿の周りも含めて、あれだけの石を切り出すのはかなり大変だったと思います。
確かに、日本三奇の1つ・・・と感じました。
少し訪問しづらい場所にある神社ですが、行く価値はあります。
ぜひ訪問してパワーをもらってください。
では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!
ある日、意地の悪いカラスがやって来て竜に話しかけます。
「一人でいるのは寂しいだろう」
それに怒った竜は川で激し泳いだりしますが、他の生物に家族がいることに気づきます。
そこで、天の神様に女の竜に会わせて欲しいと頼みます。
女の竜は「一緒に暮らしたいなら、立派な石の家を造って欲しい」と言います。
竜は石の館を造っていましたが、ニワトリをカラスが突いて泣かせます。
朝が来たと勘違いした神様は、竜から力を奪ってしまいます。
そこで竜は疲れて寝そべります。
そのお腹には竜が完成できなかった石の館が佇みます。
その後、女の竜は洪水の起きる川に土手を作成し、百姓は竜に感謝します。
そこで男の竜が作成途中だった石の館に注連縄を巻いて竜を祀りました、とさ・・・