目次
はじめに
天王寺七坂巡りの途中で、大江神社に上がりました。
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大江神社は愛染坂に添って建立されている神社です。
丁度、折り返し地点ともいえます。
そんな大江神社には、トラキチ(阪神タイガースファン)必見とも言えるあるものが・・・。
それは何か見ていきましょう!
御祭神
大江神社ホームページ(https://www.ooejinja.net/index.html)
大江神社の祭神
豊受大神
伊勢神宮の外宮に祀られる神様です。
内宮に祀られる、天照大御の食事を担っている神様、とされます。
下記の京都・天橋立付近に鎮座する籠神社の祭神です。
元伊勢とされる神社です。
旧小儀神社・土塔神社の祭神
素盞嗚尊
牛頭天王ともされます。
荒ぶる神様で、疫病除けの祭神として京都・八坂神社に祀られています。
「スサ」には「荒・清浄」の意味があります。
罪・穢・災・厄など身に降りかかる悪しきこと諸々を、荒々しい程の強い力で祓い清める災厄除けの神様とされます。
※土塔神社には、他にも薬師如来・地蔵菩薩・聖徳太子の像が安置されていたそうです。
旧上之宮神社の祭神
欽明天皇
日本の第29代天皇です。
天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)
大己貴命
大名持とは、大国主命の別名でもあります。
そう、言わずと知れた、出雲大社の主祭神とされている神様です。
下記の少彦名と協力をして、出雲の国を治めたとされます。
少彦名命
大国主命(大名持神)の政治を助けたとされる神様です。
少彦名の名前は、大名持の逆という説もあります。
医薬や温泉、穀物、知識、造酒、などに長けていた、とも言われています。
下記の大阪に鎮座している、少彦名神社の主祭神でもあります。
なお、大己貴命と少彦名命は首相と片腕だったため、セットで祀られるケースが多いです。
下記の玉作湯神社の祭神でもあります。
御由緒
大江神社ホームページ(https://www.ooejinja.net/index.html)
社格
旧社格は郷社です。
御由緒
創建の由緒
四天王寺の鎮守社である四天王寺守護のため、聖徳太子によって創建された、とされます。
(※四天王寺は聖徳太子が創建した、とされます)
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大江神社は元々、天王寺北村の産土神(うぶすながみ)で豊受大神を祭祀しています。
いつの頃よりか神仏を混淆して毘沙門天を祀り、乾(北西)の社と称して四天王寺の所管となります。境内に神宮寺を建て祭祀も僧徒が行っていたとそうです。
四天王寺七宮
上之宮、小儀(四天王寺東門外 北側)、土塔(南門外 東側)、河堀、堀越、久保、大江の七社です。四天王寺の鎮守として、聖徳太子が祀った、とされます。
現存している神社は、大江神社の他に、
久保神社、河堀稲生神社、堀越神社です。
大江神社は、明治四十年、大道一丁目字土塔の村社、土塔神社(祭神素戔嗚尊)、上之宮町字上之宮の村社、上之宮神社(祭神欽明天皇、相殿に大己貴命、少彦名命)、東区安土町二丁目の無格社、男山八幡神社(祭神応神天皇)、同四十一年、勝山通一丁目字小儀の村社、小儀神社(祭神素戔嗚尊)を合祀したようです。
夕陽丘の地名
大江神社の付近は夕陽丘と言われます。
上町台地のすぐそばまで海がせまり、西の海に夕日が沈み茜色に染まる空の美しさから、夕陽丘と呼ばれるようになったそうです。
神社に夕陽丘の碑が飾られていました。
太平洋戦争の影響
絵馬堂と神器庫を残しすべて焼失したそうです。
しかし、昭和三十八年に本殿、拝殿が復興されました。
現在は約百三十本もの榎木、楠木等の樹木が生い茂っています。
訪問記
入口
愛染坂の上編
大江神社の入口は、天王寺七坂の1つ。
「愛染坂」をのぼりきった場所に大江神社の入口があります。
鳥居正面です。
愛染坂の下編
愛染坂の下にも大江神社の鳥居と社号標があります。
こちらが鳥居正面です。
階段を登ります。
※百歳(ももとせ)の階段というそうです。
101段あり人生の区切りである100歳からもう1歩と願いが込められているそうです。
途中、灯篭もあります。
※別途でご紹介しますが、大江護国神社も階段途中にあります。
登り切った場所です。
参道
参道・手水舎
大江神社の参道です。
どちらの入口から入っても真ん中あたりで折れ曲がって本殿に続きます。
途中、立派な樹が生えています。
いい樹だったので、写真撮影しておきました。
手水舎です。
私が訪問した際には、柄杓が置かれていました。
(アルコールスプレーの用意はされていました)
古い鳥居
手水舎の隣、鳥居がありました。
しかし、何か変です。
そう、こちらの鳥居の向こう側は行き止まりになっています。
疑問に思って社務所で尋ねてみました。
すると、以前はこの先に道があったそうなのですが、崩れてしまったとのこと。
なので、現状は入口を閉じているそうです。
拝殿・本殿
拝殿
手水舎を曲がると、拝殿が見えます。
大江神社の拝殿です。
手前で狛犬が守っています。
拝殿の手前で、四角の石が埋め込まれていました。
ここから拝むのでしょうか・・・。
では、お参りしましょう!!
横から見た拝殿です。
クリーム色を基調にした配色になっています。
こちらは、本殿です。
少し高めになっているようですね。
毘沙門堂跡と狛虎
鳥居の奥に、狛虎さんのみがいる場所がありました。
且つて、大江神社には神宮寺の寺部分として、如意山神宮寺の毘沙門堂が鎮座していたそうです。しかし、毘沙門堂は明治に入って廃仏毀釈にて廃されます。
※毘沙門堂は、滋賀県大津市坂本にある比叡山戒藏院に遷された説があります
そのため、阿吽(あうん)の狛虎のみ残っています。
※上記の折に雌のみが滋賀県のお寺に持ち出されたとされますが定かではない、とのこと。
残った狛虎は、戦禍により痛みが激しかった様ですがそのまま残り続けます。
2002年に、星野仙一監督就任をきっかけに、ある1人のファンが狛虎に「献歌」による優勝祈願を始めたそうです。
阪神タイガースが強くなっていったのをきっかけに、2年目には賛同するファンが増えた、とのこと。それをきっかけか、狛虎の片側の建立話が氏子さんよりあがり、8月26日に完成。
その年の9月に阪神タイガースの優勝が決定。
痛みが酷くなった狛虎さんは、2011年9月に再建立されたそうです。
※ファンの方による説明文がありました。
現在も、阪神タイガースファンの方が、訪れている場所のようです。
2022年2月に再訪問したら、増えてましたよ、献歌。
少しご紹介します!!
その1
その2
その3
その4
2022年が寅年なのも盛り上がりに追加されているようですね。
摂社・末社
日吉稲荷神社
社殿
鳥居の手前にはお百度石があります。
また、手水の石桶もありますね。
入口の鳥居です。
拝所です。屋根付きです。
しっかりしていますね!
社殿です。
少し高い地に祀られています。
大江護国神社
祭神
蛤御門の変で戦死した48名の長州藩士
(※幕末に起こった、長州藩による改革の動き)
由緒
山口藩殉難諸士招魂碑とのこと。
1870年山口藩が鎮祀、同藩の志士48名の霊を祀ったものだそうです。
社殿
入口です。
愛染坂の入口からの階段の途中に入口があります。
奥には行けないようになっています。
こちらが社殿です。ズームにて撮影したものです。
羽呉神社(境外)
浪速区の日本橋にある、大阪履物会館に鎮座しているそうです。
その他
絵馬殿です。
井戸があります。珍しいですね!
御朱印
大江神社の御朱印です。
社務所に猫ちゃんがいました。
可愛かったので、写真とりました。
外にも。この子は野良かな??
毛並みはいいので、この子も神社の猫ちゃんでしょうか。
地図・住所
住所
〒543-0075 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5−40
行き方
四天王寺夕陽丘駅の5番出口を出ます。
南へ進み、こちらの植え込みを通り過ぎます。
愛染さんと書かれた看板、及び大阪聖光学院の手間を右に曲がります。
正面に鳥居が見えます。
さいごに
大江神社は、聖徳太子が建立したとされる日本最古のお寺・四天王寺を守護する神社の1社でした。現在は複数の神社が合祀されているようでした。
また、大江神社の付近は夕陽丘と呼ばれ、海に写る夕日が綺麗な場所とされていました。
そんな大江神社の一角には奥には何もない場所で狛虎が。
いきさつはあるものの、現状では阪神タイガースファンが献歌をし、阪神優勝を祈願する場所になっています。
もし貴方がトラキチ(阪神タイガースのファン)であれば、大江神社はお上がりしご縁を結ぶことを強くオススメできる神社です。
では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!
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