はじめに
京都の八幡市にある、飛行神社を訪問しました。
石清水八幡宮に行く途中に足を運んだのですが、創設者の方の想いをとても感じる神社でした。
(場所としては、一の鳥居の近くです)
駅としては、石清水八幡宮駅から徒歩10分かからない程度です。
こちらで紹介した堤の反対側になります。
背割り堤を訪問する帰りでも、ぜひ足を運んでみてください。
御祭神
饒速日命
饒速日はこちらで紹介した石切さんの御祭神です。
饒速日命が、天磐船(=飛行船!?)で地上に舞い降りたため、空の神・行先の神として祀られてきたそうです。
神様は、磐船神社(参考ホームページ)より分祀されたようです。
航空殉難者の霊・航空業功績者
飛行機の技術革新が進むにつれ、飛行機で命を落とす方も増えました。
(事故、戦争、などなど)
飛行機の発展、開発を志した創設者の方の想いが込められているのだと思います。
薬祖神・白龍神
建立した方が、製薬会社で働いていたこともあり、製薬会社の設立に尽力された創業者の方々を祀られたようです。
また、地主神としてこの地にいた白い蛇を祀っているそうです。(神社の創建と同時にいなくなった、とのこと)
蛇は白龍神と言われているようです。
社格・由緒
社格
ありません(個人で1891年に建立したため)
由緒
二宮忠八という方が建立した神社です。
戦死者の鎮魂を願う、靖国神社と同様の目的です。
「招魂社」というそうです。
二宮忠八さんという方、不思議な経歴を歩んでいるようです。
飛行機開発を夢見た方だからこそ、こういった神社を創建されたんですね。
薬種商の手伝い->歩兵第12聯隊付の看護卒として入隊->「カラス型飛行器」を完成し飛行に成功->軍用機開発を提案したが却下->独力開発を決意し軍を除隊->大日本製薬株式会社に入社->明治36年(1903年)12月17日アメリカのライト兄弟が飛行機を完成(飛行機開発をあきらめる)->大正8年(1919年)飛行機開発での功績が認められる->私財を投じて飛行神社を創建し、航空安全と航空事業の発展を祈願
訪問記
外観
入口は少し分かりづらいかもしれません。
ちょっと怪しげな宗教とかの入口っぽいですが、神社です。
奥に鳥居が見えます。
入ってすぐ左手に、飛行機のエンジンが飾られています。
とても立派です。写真では、光が反射してうまく映りませんね。。
手水舎です。
鳥居
鳥居です。手前の家で正面からは見切れてしまっています。
社殿
パルテノン神殿みたいです。
神社としては、異色だと思います。
ステンドグラスがキレイでした。
第一殿です。
ニギヤハヒの命を祀っています。
第二殿です。
祖霊社です。
第三殿です。
薬光神社、及び白蛇神を祀っています。
全体図です。
その他
常盤稲荷神社と思われます。
その他、プロペラのオブジェクトがありました。
神社のおみくじを、飛行機の形に折ってここにくぐらせるそうです。
とっても、珍しいですね。。
御朱印
手書きの御朱印と、紙配布の御朱印があります。
右側が手書きの御朱印。
左側が紙配布の御朱印で、紙の方には飛行機が配置されています。
御朱印は、鳥居をくぐった社殿の奥にあります。
1階ではいただけません。
住所・行き方
住所・地図
〒614-8002 京都府八幡市八幡土井44
行き方
最寄り駅は、京阪の石清水八幡宮駅(以前の、八幡市駅)です。
駅に周辺地図がありました。
⑥として、飛行神社も紹介されています。
駅前のロータリーを抜けます。
川を渡ります。
協会の十字架を右手に見て進みます。
こちらの信号を右に曲がって進みます。
しばらくすると、飛行神社が見えてきます。
おまけ
帰りに、別の橋を通ると桜が咲いていました。
最後に
京都の八幡市にある飛行神社を訪問してきました。
古代日本史のミステリー感が大好きで、古い神社や謂れのある神社を中心に訪問しています。
この神社は新しい神社で、東京の靖国神社と同様にある目的を持った魂を神様として祀る神社です。
飛行機が好きで、開発を志した創建者。
その方の想いが詰まった神社でした。
では、皆様にもよいGOENを!
日清戦争の戦場で開発を上申して却下されたが、大正8年(1919年)おもわぬことからその功績が認められる。世界はいよいよ飛行機の時代へと動き、飛行機による犠牲者が多くみられるようになる。それを知った忠八は、同じ飛行機を志した人間としてこれを見すごすことはできないと、その霊を慰めるために大正4年に八幡(現在地)の自邸内に私財を投じて飛行神社を創建し、航空安全と航空事業の発展を祈願したのが当神社の起こりである。