(兵庫)祇園神社を訪問。八坂神社への祭神分祀の途中の休憩地?平清盛が眺めて描いた神戸の未来像(RX100M7)

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はじめに

生田神社・裔社の8社巡拝の5社目・五宮神社をご紹介しました。

五宮神社では神職の方が常駐していないため、正式な御朱印を頂けるのは祇園神社でした。
そのため、祇園神社を訪問しました。

最初は何となくの訪問だったのですが、しっかりとした歴史もあり、とても興味深い神社でした。
では、祇園神社を見ていきましょう。

なお、8社巡りの総集編はこちらで公開します。
是非ご覧くださいね。

御祭神

神戸祇園神社のホームページ(http://www.kobe-gionjinjya.com/)も含め記載

素盞嗚尊

牛頭天王(ごずてんのう)ともいわれます。
日本に伝えられた際に、疫病やその他邪気をはらうという同じ御神徳のある素盞嗚尊と同じ神様として信じられるようになりました。

牛頭天王は、インドではお釈迦様が悟りを開かれた『祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)(=釈迦が説法を行っていた寺院)』の守護神とされました。また中国には、それとは別に牛頭状の形をした山に熱病に効く栴檀(せんだん)を産出していたことから、この山を疫病にご利益のある神として牛頭天王と呼び崇めていました。
後にこのインドと中国の神様は一つになり日本に伝えられました。

なお、祇園神社の周囲には牛頭天王に起源を持つと思われる天王川、天王橋、天王谷、天王温泉などの地名が残っているそうですよ。

櫛稲田姫命

素盞嗚尊の妃神で、ヤマトの大蛇退治で救った女性とされます。

御由緒

神戸祇園神社のホームページ(http://www.kobe-gionjinjya.com/)も含め記載

社格

村社

御由緒

平安時代の末期、第56代清和天皇の御世、京都では疫病が流行って多くの人々が死んだり、雷が落ちたりする災害がよく起こりました。これらの原因は、災害で被害にあったり政治などで失脚した人々の祟りであり、その御霊を鎮める事によってその力を頂くと言う御霊(ごりょう)信仰が信じられるようになっていました。

そこで占いをしたところ、姫路の広峰神社にまつられている素盞嗚尊(すさのおのみこと)がこれらの祟りを治めるのに力があるという事がわかりました。

今の京都・八坂神社の前身、京都北白川の東光寺(後に今の八坂の地に移り『祇園感神院』と称した)に素盞嗚尊を祀るため、貞観11年(869)のある日、姫路から京都に向けてご分霊をお載せしたお神輿の行列が出発したとされます。道中、祇園神社の鎮座する平野(ひらの)の地には、当時広峰神社と縁のある姫路の書写山円教寺で修行された徳城坊阿闍梨が住んでおり、その案内で行列が平野の地で一泊しました。

地元の人々はその後もご神徳篤いのを感謝し、祠を作ったのが祇園神社の始まりとされています。
そのため、約1150年余の歴史があります。

京都・八坂神社が広峰神社を起源とする説は正しいかどうか決着が着いていないようです。
(八坂神社は否定をされているようです)
本ブログでは、各神社の説を伝える、という意図にて祇園神社の説を記載しております

京都・八坂神社はこちらを参照ください

訪問記

入口・参道

一の鳥居

祇園神社の入口の鳥居です。

鳥居の奥は、急な階段が続きます。
鳥居の奥に社号標があります。珍しい配置ですね。

参道(階段)

階段を登ります。

階段の途中には、石灯篭が建てられています。

こちらは、風車灯篭というそうです。
0.6m/sの微風でも回り、少量の電力を供給することができるようです。
景観とのマッチも考えられているようですが、個人的には神社には似合わないと思っています。

更に、歌碑がありました。

境内

二の鳥居と景色

階段を登りきると、簡易的な鳥居が出迎えてくれます。

そして、こちらは振り返った景色。
元々山手にあることと、急な階段を登った後にはとても綺麗な景色が拡がっていました。

なお、1167年に平清盛が太政大臣を辞し、神戸にやってきます。
その時の住まいが祇園神社の裏手だったそうです。
清盛はここからの景色を眺めながら、神戸の港(大輪田泊)の修築や対宋貿易を考え実行していったのですね。

手水舎

こちらは祇園神社の手水舎です。

屋根の下はこういった形になっていました。
桜の季節だったため、桜の枝を置いてくれていました。キレイですよね。

拝殿・本殿

拝殿

祇園神社の拝殿です。
八阪神社を思い出す配置ですよね。

ちゃんとセットされています。

少し引いてみてみます。

本殿

さあ、本殿に向かいましょう。
少し階段を登ります。

こちらが、祇園神社の本殿です。

お参りしましょう。装飾がかなり凄いですね!!
こちらは、春日造。派風つき・銅板葺だそうです。

本殿を横から見てみました。
小さめながらも、しっかりした造りですね。

もう1枚。今度は後ろからです。

なお、本殿の両隣りにも小さいお社が鎮座しています。

(右側)皇太社

祭神:天照大神 国の平安を守る神と説明されていました

(左側)春日社

祭神:天児屋命 天寺明日大神を助ける神と説明されていました

春日社ではないですが、天児屋命が祀られる枚岡神社

絵馬がかけられていました。可愛らしい絵馬ですね。

一願石

本殿の奥に、大きな石があります。
こちらは、一願石と言います。

願いを込めて、ぜひ触れてみて下さい、とありました。

祇園神社が創建されたころから鎮座している霊石、とのことです。
神域にある石や岩は神様の依り代として神が宿ると考えられています。
いつからか、霊石に一つだけ真心を込めて願い事をすると願いは成就すると言われているそうです。

その他の摂社・末社

市杵島姫社

祭神

市杵島姫命
海・芸能の神と説明されていました

社殿

入口には鳥居が建てられています。

手水舎です。

灯篭も建てられています。

社殿です。充実した設備です。

白玉稲荷神社

祭神

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
農商工業を守る神と説明されていました。

社殿

入口には1つ鳥居が建てられています。

社殿です。

烏原神社(からすはらじんじゃ)

祭神

第十五代応神天皇(誉田別尊)
八幡神社の祭神で厄除の神様です

市杵島姫命
海上交通守護の神様。中世以降は仏教と集合し弁財天・芸能上達の神として信仰。

天児屋根命
中臣・藤原氏の氏神とされ、春日大社等の祭神

稲荷大神
衣服・食物を司り、商売繁盛の神様として信仰

由緒

石井川上流の山田村(神戸市北区)への道沿いの烏原村に鎮座していました。
しかし、明治38年5月、上水道建設のために貯水ダムの底に村が沈みます。

村人は祇園神社の鎮座する平野から氷室町へ移住し、神社も遷座しますが、神戸大空襲で焼失し阪神淡路大震災ではすべて倒壊します。
震災10年を機に、平成18年6月に祇園神社の境内に遷座することとなりました。

社殿

入口には灯篭が建てられています。

烏原神社の社殿です。

猿田彦社

祭神

猿田彦命
人をみちびく神と説明されていました。

社殿

猿田彦社の社殿です。

御朱印

こちら、祇園神社の御朱印です。
とても力強い筆致です。

社務所は拝殿を正面に右側にあります。

住所・地図

住所

〒652-0008 兵庫県神戸市兵庫区上祇園町12−1 祇園神社

行き方

JR三ノ宮駅そごう前、JR神戸駅前、市営地下鉄湊川公園駅より 市バス⑦(平野下車)
と神社からは案内されています。

徒歩の場合、地下鉄大倉山から歩く方法もありそうです。

徒歩の場合、有馬街道を目指しましょう。

有馬街道の石碑には、祇園坂とありました。

最後に

生田神社・裔社の8社巡拝の5社目・五宮神社の御朱印を頂きに訪れた祇園神社。

諸説あるようですが、姫路から京都・八阪神社への分祀の途中に立ち寄った地に祠を祀った場所とされます。

一願成就の石や、平清盛の住まいがあり神戸発展の構想を行った場所とされます。
願いを持って訪問し、石に触れてみてください。
神戸の街を眺めながら、将来に思いを馳せてもいいかもしれません。

神戸8社巡りの総集編はこちらで公開します。
是非ご覧くださいね。

では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デル株式会社

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