目次
はじめに
大阪・天王寺から南に行ったあべの・東天下茶屋にある安倍晴明神社を訪問しました。
ホームページ:http://abeouji.tonosama.jp/abeseimeijinja/index.html
安倍晴明の生誕の地とされている場所です。
安倍は、「あべの」の地に由来しているようですね。
どんな神社か見てみましょう。
御祭神
安倍晴明
平安時代に活躍した、陰陽師です。
朝廷の陰陽寮(現在の省庁に準ずる)で働いていました。
幼名は安倍童子だったそうです。
安倍晴明はは安倍晴明神社のあった場所で生まれたと伝えられています。
参考として、京都に清明神社があります。
こちらは京都の住居跡とされています。
御由緒
社格など
阿倍王子神社境外末社
御由緒
創建について
社伝「晴明宮御社伝書」によると、創建は寛弘4年(1007年)。
花山法皇の命によるとされています。
代々晴明の子孫と称する保田家が社家として宮司を務めていたそうです。
江戸時代には代々大坂城代が参拝にくるほど有力な神社であったとのこと。
江戸末期まで西洋文化が入ってこず、また、陰陽寮が続いたことによると思われます。
神社の再建について
幕末には衰微し、明治時代には小さな祠と下記にある石碑のみになってしまいます。
明治時代末期になると復興計画が持ち出され、1921年(大正10年)には阿倍王子神社の末社として認可された。社家の子孫である保田家より旧社地の寄進を受け、1925年(大正14年)現在の社殿が竣工
太平洋戦争時には爆弾が落ちるも、爆発せず火災を免れたそうです。
訪問記
入口
安倍晴明神社の入口です。
社号標と、安倍晴明生誕伝承地と書かれています。
伝承地の隣に、熊野街道の石碑が建っています。
手水舎
手水舎です。小さめの石おけです。
神社からのメッセージが貼られていました。
龍神は雨と水を支配し、仏教では八大竜王と呼ばれています。
陰陽道では天の東西南北と中央に五龍神がいると感がられています。
昔、安倍晴明が雨乞いの祈祷をした際に五龍神に祈り大雨を降らせたそうです。
そこからこの井戸は清明水と呼ばれています。
本殿
本殿です。境内をくぐってすぐです。
流造になっています。
お参りをします。
社殿のすぐ隣に大きな樹が植えられています。
横の方面から見た社殿です。小さめのお堂のようですね。
安倍晴明ゆかりの品々
安倍晴明像が設置されています。
等身大の像と言われています。
こちらは、妖狐像です。
一緒に撮影してみました。
清明の母親とされる、葛の葉の図です。「葛之葉姫図」だそうです。
清明が生まれた際の産湯に使われた井戸です。
産湯は摂津名所図会(摂津の名所を紹介した本;1790年後半)に登場しているそうです
摂社・末社
泰名稲荷神社
祭神:宇迦之御魂大神
外観です。隣に大きな樹があります。
赤い鳥居とお社がとても印象的です。
なお、泰名は清明の父親の名前に由来するものだそうです。(祭神とは関係ない)
お参りをしました。
その他
鎮石(しずめいし)/孕み石
古代の船の碇だそうです。
鎮める意味から安産を祈る石、孕み石と呼ばれるようになったそうです。
七夕の句碑
「七夕を 文に清明 神の杜 (清居)」(誰かは不明です・・・)
御朱印
御朱印の種類
通常の御朱印
こちらは通常の御朱印になります。
特別な御朱印
こちらは、清明大祭に伴う御朱印です。
神社境内の清明水を使用し作成されているそうです。
「古悲しくはたつね きてみ与い川ミ成
しの多乃森乃 うらミくつ之葉」
清明母親は狐と言われています。
清明が幼いころに、母親の正体を知った、とされております。正体を知られた母親は清明の元から去ったと言われており、その際に歌った和歌が刻まれています。
この当時、妖狐とは身分の低い女性だ、という説があります。
(特に、川辺などに住んでいた、住所を持たないような身分)
私もその説が正しいのではないか、と考えています。
御朱印の受領について
安倍晴明神社に社務所はあります。
しかし、いづれの御朱印も、すぐ近くにある阿部王子神社で頂くことができます。
ONE MORE・・・
東天下茶屋駅の隣にある踏切のすぐそばに美味しいカフェがありました。
「THE MARKET ikedaya BBQ style」です。
とても美味しかったため、訪問された際にランチを考えられている場合はぜひ!
地図・場所
場所(神社)
住所:〒545-0034 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5−16
行き方
阪堺電車(通称チン電)に乗車します。
天王寺駅からであれば、2~3駅です。どれに乗ってもOKです。
東天下茶屋駅で下車し、商店街の方面へ向かいます。
こちらの曲がり角で右側へ向かいます。
しばらく進むと安倍晴明神社と稲荷神社の鳥居が見えます。
最後に
安倍晴明神社をご紹介しました。
こじんまりした神社ではありますが、大阪の阿倍野の地が生誕の地と聞くととても不思議な気持ちになります。(個人的にこんな近くで!?という驚きです)また、等身大と言われる銅像や産湯で使われた井戸など伝承として残っているのはすごい事だなと感じました。
戦時に爆弾が爆発しなかったのも、清明のご加護かもしれませんね。
では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!
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