(大阪)石切剣箭神社の上之社を訪問。隠れてる裏の方にも行かないと上之社じゃない!!(α7Ⅲ)

ビックカメラ.com

はじめに

枚岡神社を訪問した際に、少し足をのばして石切神社を訪問することにしました。
(はい、あの足腰バキバキの状態です)

(大阪)枚岡神社を訪問。山の麓にある粥占い・お笑い神事のあるユニークな神社(一宮)(A7Ⅲ)

(大阪)枚岡神社の禁足地だった神津嶽・本宮を訪問。50分程度の登山で足腰バキバキ(α7Ⅲ)

石切さん、前々から名前は聞いていたので気になっていたんですね。
ちょっとしんどかったのですが、石切神社の上之社・本社を訪問してきました。

今回のブログでは、上之社編をお届けします。
本社はこちらをどうぞ。

(大阪)石切剣箭神社の本社を訪問。お百度詣りやでんぼの神様が有名!一言のお願いを叶えてくれる神様も!!

御祭神

 饒速日尊(にぎはやひのみこと)   可美真手命(うましまでのみこと) :饒速日尊の御子

上之社には、「荒魂」が祀られているそうです。

ニギハヤヒノミコト Wikipediaより
『石切劔箭神社』の社史によれば、天照大神から大和建国の神勅を拝し『十種の瑞宝』を授かった饒速日尊が船団を組み、自らも『布都御魂劔』と日の御子の証である『天羽々矢』を携え天磐船に乗り込み、物部八十の大船団を率いて高天原を出航した。

途中、豊前国の宇佐に寄港すると船団を二つに分け、息子の天香具山命に『布都御魂劔』を授け船団の一方を預けた。
宇佐から瀬戸内海を渡ると饒速日尊は河内・大和に、一方の天香具山命は紀伊に向かった。
天磐船が鳥見の里を見渡す哮ヶ峯(たけるがみね『生駒山』)に着くと、饒速日尊は辺りを見渡し「虚空(そら)にみつ日本(やまと)国)」【訳「 空から見た日本の国」または「空に光り輝く日本の国」】と賛じた。

これが日本の国号の始まりとなった。

当時の河内と大和の一帯は鳥見の里と呼ばれ、穏やかな自然と海や山の幸に恵まれた豊な土地であった。
この地方を治めていた豪族、鳥見一族は、稲作や製鉄の技術がないものの、狩や漁がうまく、生活用具や住居づくりに優れ、長身の恵まれた体格は戦闘に秀で「長髄の者」と恐れられていた。

その頃の鳥見一族の長、長髄彦は饒速日尊の徳の高さに打たれ、尊のもたらした稲作や織物、製鉄の道具・武具に文化の差をみると、争う事の無益さを悟り、一族こぞって饒速日尊に従った。この時二人の間を取り持ったのが長髄彦の妹、登美夜毘売(三炊屋媛)で後に尊との間に宇摩志麻遅命をもうけた。

こうして鳥見の里を治めるようになった饒速日尊は、水が豊かで稲作に適したこの土地に水田を拓き、大きな実りをもらすようになった。これが近畿地方の稲作文化の初めとなった。

影の御祭神??

石切神社は長髄彦(ナガスネヒコ)祀っているのではないか、という考え方があるようです。
実は、その社殿が上之社にはあるようです。

石切社 Wikipediaより
神社の公式な見解には無いが、進藤治によると「石切さんは長髄彦と深いかかわりがある。」「石切さんには長髄彦がお祀りしてある。」等の口伝があるという。進藤は「石切」の音を i-si-kir・i と分解しアイヌ語で解釈することで、「長髄彦」と訳出可能であることを指摘する。同じ結論を大山元も指摘しており、「石切」 i-si-kiri はアイヌ語で「その・長い・彼の足」の意味になるという。

なぜ、こっそりと祀られているのか?
神武東征の際に、神武が浪速国青雲の白肩津に到着した際に孔舎衛坂(くさえのさか)で迎え撃ち、
兄の五瀬命は矢に当たって負傷し、後に死亡しています。ナガスネヒコが活躍しています。

その後、神武天皇は熊野経由で戻ってき、再び戦います。
その際に、ニギヤハヒは神武が神の子孫である証を見せ降参するのですが、
ナガスネヒコは従わなかったため、殺されてしまいます。

石切社 Wikipediaより
神武天皇に「昔、天つ神の子が天の磐船に乗って降臨した。名を櫛玉饒速日命という。私の妹の三炊屋媛を娶わせて、可美真手という子も生まれた。ゆえに私は饒速日命を君として仕えている。天つ神の子がどうして二人いようか。どうして天つ神の子であると称して人の土地を奪おうとしているのか」とその疑いを述べた。天皇は天つ神の子である証拠として、天の羽羽矢と歩靱を見せ、長髄彦は恐れ畏まったが、改心することはなかった。そのため、間を取り持つことが無理だと知った饒速日命(ニギハヤヒノミコト)に殺された。

ナガスネヒコが昔にこの地を支配していたこともあり、国つ神に準じる扱いを受け、
名前等に残っているのかもしれませんね。

社格・由緒

社格

河内郡の式内小社。(石切劔箭命神社二座:上之社と本社)

由緒

創建年代は、火災により社殿及び宝庫が悉く消失したため詳らかではないが、代々の社家「木積」家には、皇紀2年に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを神社(上之社)の起源とし、崇神天皇の御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる。

訪問記

手水舎と子連れ丑

手水舎です。

龍から水がでています。

手水舎の隣に、子連れ丑がいます。

鳥居と参道

上之社の鳥居です。

鳥居をくぐって、階段を上ります。

割と急ですので、ご注意ください。

拝殿・本殿

階段を上ると、拝殿が見えます。

拝殿です。
(手前は御神輿台です。荷物は置けません)

左右に渡り廊下があります。

横から見た拝殿です。

お参りの作法を書いててくれました。

本殿です。

井戸

井戸があります。
(奥は社務所です)

妙な存在感があります。

納札所

拝殿の右手の渡り廊下をくぐると、

納札所があります。

上之社の跡碑

拝殿左手の渡り廊下をくぐります。

手水舎があります。

その奥に、上之社の跡碑があります。

更に奥に進みます。

石切の御滝

何やら、入口が見えます。

階段を進みます。

滝があります。

一般的にイメージする滝とは違いますが・・・京都の清水寺もこのような滝ですね。

御礼亀

社の前に、亀さんが並んでます。

願い事が叶ったら、ぜひ来てみたいと思います。

奥に池があります。滝とつながっているようでした。

婦道神社

祭神:
弟橘姫尊(おとたちばなひめのみこと)日本武尊の妃で、穂積氏の娘
三炊屋媛(登美夜毘売)ニギヤハヒの妻で、ナガスネヒコの妹

鳥居です。

手水舎です。

拝殿です。

八代龍王神社

祭神:
八代龍王神 龍の神ということは水・雨に関係する神様かもしれません。

婦道神社から少し下った場所にあります。

入口です。

手水舎です。

参道を通ります。

右に曲がると、お社が見えました。

お社は、水に囲まれています。

石切登美霊社

写真撮り漏れていました。
こちらの写真の左端にちょびっと屋根が写っています。

こちら、ナガスネヒコのことを言っているのではないかと思います。
なぜならば、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)と言うからです。

御朱印

拝殿の右側にある社務所でいただけます。
※16時に閉まるようですので、ご注意ください。

※石切丸の御朱印もあるようですが、ツアー等で頂ける特別なもののようです。
通常では、石切丸の御朱印は頂けないようです。

地図

住所:〒579-8012 大阪府東大阪市上石切町2丁目34
(近鉄奈良線 石切駅から徒歩7分。)

周辺地図です。

行き方

近鉄石切駅で降ります。

南口から出ます。

改札を出て真っすぐ進むと、鳥居が見えます。

電車の線路の下をくぐります。

まっすぐ坂を登っていきます。

爪切り地蔵を横に見て、更に登っていきます。

看板を見つけたら、もうすぐです。

神社の入口です。

最後に

実は、上之社は2度訪問しています。
1度訪問した際には、裏手のことを知らなくて小じんまりしているな、と思っていました。

ただ、帰って調べてみると、裏手にもいろいろあるとのこと。
そこで、2度目の訪問となりました。

上之社は表よりも、裏手に意味があるのだと思います。
何かしらの施設と思ってしまった石切登美霊社など・・・。
(上之社には境内図はなかったので、作られた方がいいなぁ、とは思います)

こうして神社を裏まで歩いてみると、色んな発見があったりして面白いです。

では、皆様にもよいGOENを!

デアゴスティーニ

デル株式会社

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA