目次
はじめに
1月1日に多賀大社を訪問しました。
元旦で初詣の人で賑わっていたのですが、とても懐が深い神社に感じました。
境内は不思議と、とても居心地が良かったです。
伊勢神宮との両参りをしましょう!となっていますが、そうでなくてもいい神社だと思います。
病気平癒、延命、また、金運上昇の願いを込めて訪問してみてください。
私は時間の都合で摂社・末社を回り切れなかったのですが、また訪問したいと思う神社でした。
祭神
伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)
伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)
古事記では、日本の国生みをした日本最初の夫婦として知られていますね。
社格・ご由緒
社格
式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。
ご由緒
なぜ多賀大社が2柱を祀っているのかは、Wikipediaに1説が紹介されていました。
ただし、淡海は、淡路の誤写である可能性が高いとのことでした。
信仰については、多賀大社のホームページに記載されていました。
生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。
日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
なお、室町以降には伊勢との両詣り(参り)で盛り上げていたそうです。
伊弉諾と伊邪那美の子供が、天照大神ですからね。
お多賀杓子
元正天皇の病気に際し、多賀大社の神主さんが飯を炊き、しでの木で作った杓子を献上したことで、天皇はたちまち治癒されたと伝えられます。そのため、病気平癒や延命長寿の御利益があるとされています。
杓子は「お多賀杓子」として有名です。
そして、「お多賀杓子」が「おたまじゃくし」の語源とされています。
訪問記
鳥居とそり橋(太鼓橋)
鳥居です。1月1日だったため、すごい人出でした。
神社の全景です。
とても広い神社です。
鳥居をくぐると、石づくりのそり橋(太鼓橋)があります。
豊臣秀吉が母親の延命長寿を祈願して寄進たらしく、「太閤橋」とも呼ばれます。
(※歩いて渡ることはできません)
そり橋(太鼓橋)の説明です。
太鼓橋を過ぎると入口の御神門です。
手水舎
手水舎です。人が多かったです。
手水舎を過ぎると、焚火がありました。
本殿
本殿です。
たくさんの人だったため、私はよこからお参りすることにしました。
非常に横に大きく立派な社殿です。
廊下です。とても綺麗です。
彦根城が近いこともあり、徳川家と繋がりが強いと思われます。
徳川の家紋入りです。
摂社・末社
一覧です。
全てを廻ることはできなかったため、一部を紹介します。
金咲稲荷神社
本殿の右奥に鎮座しています。
祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
金運にご利益があると言われています
入口です。
手水舎です。
鳥居をくぐって進みます。
神社です。
ご由緒です。
天満神社
入口に近い場所にあります。
祭神:菅原道真
三宮神社・聖神社・熊野神社・天神神社・熊野新宮
三宮神社:建築土木
聖神社 :諸病平癒
熊野神社:厄除
天神神社:殖産興業
熊野新宮:子授け
年神神社・竈神神社
年神神社:五穀豊穣
竈神神社:家内安全
子安神社
子安神社:安産
愛宕神社
愛宕神社:防火
祭神:火産霊神、伊邪那美神
秋葉神社
秋葉神社:火伏せ
祭神:火之迦具土神 ( ヒノカグツチノカミ )
能舞台
かなり立派な能舞台です。
舞奉納がありました。
寿命石
寿命石です。
夫婦桜です。
御朱印
3種類の御朱印があります。
私は、本社と「御縁結び」の御朱印をいただきました。
住所・地図
住所:〒522-0341 滋賀県犬上郡多賀町大字多賀604
(彦根駅から、近江鉄道で「多賀大社前」駅で下車。徒歩10分程度とのことです)
その他
門前町は出店で賑わっていました。
「笑門」っていいですね。
遠くに雪をかぶった山が見えます。
途中、ご神田の前を通りました。
最後に
駐車場への移動も含めて40分少々しか時間がなかったため、全体を見て回ることができませんでした。
とても広い神社であるため、時間をとってまた訪問したいと思っています。
ただ、本殿の周辺を歩いているだけでも、とてもいい気分になれました。
自分に合っている神社なのかもしれません。
摂社は全部回れなかったため、別途で訪問できときにお詣りしたい、と考えています。
では、皆様にもよいGOENを!
和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』の写本のうち真福寺本には「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)との記述があり、これが当社の記録だとする説がある。