はじめに
先日、霧島神宮を訪問してきました。
坂本龍馬も訪れたという、山の上にある厳かな雰囲気の神社でした。
御祭神
<主祭神>
天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
ニニギの尊、ですね。
天孫降臨で天照の命を受けて天界から人間界に降りてきた、とされています。
<相殿神>
木花開姫尊 :ニニギのお后です
彦火火出見尊 :ニニギの子供です
豊玉姫尊 :彦火火出見尊のお后です
鵜鷀草葺不合尊:彦火火出見尊の子供です
玉依姫尊 :鵜鷀草葺不合尊のお妃です
神倭磐余彦尊 :鵜鷀草葺不合尊の子供。神武天皇です。
社格と御由緒
社格
官幣大社です。
大隈国の一宮は鹿児島神宮になります。
ご由緒
かなり歴史が深い神社です。
今回は突貫での訪問でしたが、霧島の頂上に登って鉾を見てみたい、と改めて思いました。
お社の場所は少なくとも3回は移動していて、
- 霧島の山頂付近
- 現在の場所から少し移動したところ(下記に詳細)
- 現在の場所
となっているようです。
興味深いのは、下記の記述です。かなり広い範囲で霧島神宮の力が及んでいたんですね。
ちなみに、高千穂峰は、霧島連山の1つだそうです。
なるほど。。。私はずっと宮崎県の方だけが関係していると思っていました。
となると、鹿島から船を使って鹿児島に来て・・・というのも、神話上を考えても突拍子もない、ことは無い、のかも知れんませんね。国の境界も曖昧だったのでしょうし。
(歴史のロマンの1つ、と捉えてます。)
あ、鹿島神宮に訪問した際に記載していたこちらの本です。
訪問記
大鳥居(第一の鳥居)
かなり大きな鳥居があります。
(高さ23mで、西日本一だそうです。タクシーの運転手さんが強調してました)
ちなみにこの鳥居、以前は黒色だったみたいですね。
鳥居を潜って前に進んで行きます。上り坂になっています。
すると、ロータリーがあります。
ロータリーを越えると、赤い橋が見えます。
第二の鳥居と社号標
橋を渡ると、社号標が見えます。
階段を登ると、第二の鳥居が立っています。
鳥居をくぐって登っています。
境内案内です。
左手側に坂本龍馬の新婚旅行立て看板と石があります。
さらにその奥に展望台があります。
残念ながら曇っていて、桜島がよく見えず残念・・・。
神聖降臨の碑です。
オガタマの木です。
第三の鳥居と参道
展望台のすぐ後ろが参道になっています。
階段を登ります。
鳥居の手前にさざれ石が置かれています。
さざれ石の逆側。何かよくわかりませんでした。
第三の鳥居です。昔はこの鳥居だけだったそうです。
奥に本殿が綺麗に見えます。
木に囲まれている参道が厳かで私は好きです。
本殿が見えてきました。
本殿
御神木が見えます。
角度によっては仏様に見える枝があるそうなのですが、私は帰る途中に知りました(涙)
このBlogをお読みの方は、確認してみてください。
手水舎です。
授与所です。この右側で御朱印がいただけます。
本殿です。手前に門守神社があります。
お賽銭入れです。
登り廊下です。
拝殿には綺麗な装飾が施されています。
その他
神楽殿です。
亀石坂と若宮神社
亀石坂の入り口です。
拝殿に向かって右側に向かったところにあります。
亀石坂です。
亀石と祠です。
風穴は見逃してしまいました。。。
階段を下りきったところで、七不思議の看板がありました。
御手洗川と若宮神社です。
11月から4月までは枯れているそうですが、5月頃から水が湧き出てくるそうです。
近くにあった鎮守神社です。
性空上人のお墓です。霧島の上から古宮趾に移した方ですね。
(ここも可能であれば・・・を参照ください)
階段を登って帰ります。
おまけ
駐車場に温泉が湧いていました。
御朱印
霧島神宮の御朱印です。
地図
場所
〒899-4201 鹿児島県霧島市霧島田口2608−5
交通機関
霧島神宮駅、というJRの駅があるのですが、霧島神宮には歩いて1時間以上の距離があります。そのため、公共交通機関を利用する場合は、バスかタクシーを利用するのが一般的かと思います。
しかし、バスの本数は極端に少ないため、タクシーを利用することが標準になってくると思われます。
(13時台に14時台もありません。。。)
切符の購入をしてください。
参考情報として、駅の様子です。
足湯が駅の外にありました。霧島は温泉街ですしね。
可愛らしい絵も飾ってありました。
霧島神宮の看板も出ていました。
車で10分とありますね。。
ここも可能であれば・・・
霧島神宮から車で10分程度の場所に、2番目の宮跡があるようです。
こちらのページを参照してください。
私は時間の関係で訪問できなかったのですが、時間があれば訪れたかった場所です。
実際に、現在でもこちらで祭祀が執り行われているそうです。
霧島神宮古宮跡
〒899-4201 鹿児島県霧島市霧島田口
最後に
霧島神宮で綺麗だと感じたのは、第3の鳥居から本殿までの道でした。
御神木の枝の観音様もぜひ探して見てください。
そして、御手洗川まで行って見てください。霧島神宮ワールドの1つだと思います。
では、皆様にもよいGOENを!
欽明天皇の時代(540年)、慶胤(けいいん)なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰(御鉢)の間に社殿が造られたのが始まりとされる。実際の所は高千穂峰に対する山岳信仰から始まった神社であろう。
しかし、火山の麓にあるという立地のためたびたび炎上する。天暦年間には性空により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷されるが、ここもたびたび噴火の巻き添えで炎上する。文明16年(1484年)、島津忠昌の命により兼慶が再建したのが、現在の霧島神宮である。但、建物はその後も幾度も炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715年)、島津吉貴の奉納により再建した物である。