目次
はじめに
鹿児島神宮訪問記の番外編として、近くにある石體神社と周辺をご紹介します。
邪馬台国が九州にあった、という説を元に卑弥呼神社が建立されているなど、少し驚きもありました。
こちらの記事の続きになります。
鹿児島神宮から石體神社に向かう
1)石體(せきたい)神社
(A)御祭神
鹿児島神宮と同様です。
(B)由緒
こちらの石體神社なのですが、もともとの高千穂の宮があった場所とのことです。
鹿児島神宮の旧社殿地だそうです。
(C)ご利益
御祭神の1柱である豊玉姫が非常に安産だったことから、安産にご利益がある、と言われています。
(=産まれたのは、神武天皇の父親ですね)
神社は普段は無人(私が行った際も無人でした)です。しかし戌の日の午前9時30分より午前11時40分迄こちらの神社で安産祈願を行っているそうです。
(割と人気のようですよ!)
日付は、神社のホームページ(リンク)をご参照ください。
(D)訪問記
上記の看板をすぎると、鳥居が見えてきます。
鳥居をくぐると、社殿が見えてきます。
社殿です。新し目の社殿ですね。
参拝します。
横から社殿を見てみます。
石が積んであります。
参道を降って戻ります。 九州に卑弥呼がいたはず!という仮説のもとに建てられた神社のようです。 上記は、「一説」でしかありませんが、 卑弥呼神社の入り口です。 入り口の右側に銅像があります。卑弥呼像だそうです。 鹿児島神宮から歩いてくると、こちらの入り口の方が先にあたります。 神社がすぐ見えます。 お参りします。 横から見るとこのような社殿になっています。 石體神社が高千穂の宮があった場所、と言われているため、石體神社(鹿児島神宮?)の駐車場の場所に高千穂の宮跡の石碑が建立されていました。 鹿児島神宮と石體神社の間の道は爽やかな雰囲気でした。 水路が整備されています。 坂本龍馬も通った道(新婚旅行)とのことです。 道端に花も咲いています。 鹿児島神宮の大鳥居のある交差点で、保食神社を発見しました。 小さな神社でした。 綺麗な装飾がされていました。 鹿島神宮・鹿児島(九州)は色々と大和政権・古代日本に関係があるような場所だと感じました。 卑弥呼が姫巫女を間違えられたものなのか、邪馬台国があったのか、私はわかりません。 では、皆様にもよいGOENを!
2)卑弥呼神社
(A)卑弥呼神社とは
古代日本の祭祀形態として、女性が「姫巫女:ひめみこ(=卑弥呼?)」が祭祀を執り行い、それを男性の「彦御子:ひこみこ(=卑弥弓呼)がサポートを行っていたそうです。
そのため、その形の1つではないか、という説もありますが、現状はよくわかっていません。(B)訪問記
社務所のような建物もありますが、いつやっているかは不明です。
(もうやっていないのかも?)
橋も卑弥呼橋です。
中を祀るように縄がかけられています。何か意味がありげです。
3)高千穂の宮跡
4)鹿児島神宮〜石體神社
ぜひ、歩いて見てください。
ハネムーンロードとされているようです。
おまけ:保食(うけもち)神社
御祭神:保食神
さいごに
ただ、古代にお宮があった(高千穂の宮)という伝承は大切なものだと考えます。
鹿島ー>鹿児島という移動があったかどうかはわかりませんでしたが、大和政権に関わりがありそうだ、ということは感じることができました。