目次
はじめに
神戸8社巡りの第二弾。
二宮神社のご紹介です。
※八社巡りのまとめ記事
ここは8社巡りよりも、一時嵐のメンバーの苗字の神社がある、と有名になった際に関西圏の二宮和也氏の苗字と一致することから、多くの参拝者が訪れていたようです。
(私は機会に恵まれなかったのですが・・・)
御由緒等を見ていると、摂社・末社の2社がとても面白いです。
是非ご覧ください!!
御祭神
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
まさかつあかつかちはやび、もしくは、あめのおしほみみのみこと
天照大御神(あまてらすおおみかみ)が誓約で生み出した神々の長男とされます。
高天原の支配神である天照大神から、葦原中国(あしはらのなつくに=日本)の支配を命じられた神格の高い神様で、御子である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨を指揮したとされています。
名前の意味は「まさに勝つ、吾れは必ず勝ちて負けること無し、勝ち進む速さは日の昇るがごとし」とのことです。
芸能、受験、就職、結婚、安産、財運向上など
御由緒
社格
旧村社
御由緒
創建の伝承
神功皇后が三韓からの帰途、生田神社が創建されています。
西暦201年とされています。
二宮神社の創立時期はあまりにも古く定かではありません。
しかし、言い伝えでは、神功皇后が三韓からの帰途神験特に著しかったために巡拝されたとされる一社とされています。(天皇家にゆかりの神々を祀る八社を巡拝)
こちらが正しければ、生田神社の創建と起源が同時期と考えられ、1800年の歴史となります。
(一説には推定4世紀とも)
また、貞観年中(西暦859~877年)に生田神社のある砂山(いさごやま・新神戸駅の裏山)が大水害にみまわれ、現在の地に御社を築く間、二宮神社で神さまをお祀りしたと伝えられ、境内には御神体を奉安したとされる「御幸石」が現存します。
発掘された祭祀跡
これらは伝承ではありますが、二宮神社の旧神域に隣接する二宮小学校跡地より、飛鳥時代(西暦600年頃)の鍛冶工房跡と祭祀用の土偶などが発掘され、少なくとも1400年前には祭祀が行われていたことが証明されました。
明治時代には、旧葺合区(神戸市)内の全神社を合祀し、葺屋壮総鎮守を冠していました
訪問記
入口・参道
入口(南)
二宮神社の入口です。
鳥居をくぐって進みます。
入口(東)
東側の入口です。摂社末社側ですね。
天にそれぞれの神様がいらっしゃる、という意味ですね。
参道(南)
二宮神社の参道です。社殿まで少し長いですね。
二宮神社と記された大きな石です。
御神木のけやきです。
樹齢が700年あるそうです!!
御神木の近くには、灯篭が並べられていました。
手水舎
お百度石の左側の屋根が手水舎です。
ちゃんとした手水舎の写真を撮影忘れていました。
とても可愛らしい手水舎です。
こちらは、上記の手水舎の前にあります。
こちらは、東側の入口の手水舎です。
摂社・末社側ですが、こちらの方が立派ですね。
社殿
さあ、社殿が奥に見えます。全体像です。
赤色でとても鮮やかですね。
近づきます。
お参りしました。
こちらは、右斜め前からの社殿の写真になります。
手前の木がむくの木と思われます。
社殿の階段手前・左側は、車祓い用のスペースがありました。
右手の狛犬の前の石が、御神体を奉安したとされる「御幸石」です。
摂社・末社
稲荷神社
祭神
倉稲魂命
(商売繁盛、火災除け、芸能上達、縁結び)
御由緒
江戸時代の末に、京都の伏見稲荷大社の神様をお祀りしたことに始まりました。
神社が建立された当時、二宮神社の門前には大きな花街があり、たくさんの料理屋や茶屋が軒を連ね、笛や太鼓、三味線の音が朝から夜更けまで鳴り響いていましたが、大東亜戦争により、大いに賑わった花街は、ここに幕を閉じたそうです。
その花街と稲荷神社でこんなエピソードがあるそうです。
当社の近所に住んでいた松吉という若者が、境内裏に棲みついていた狐「小太郎」と名付けて、とてもかわいがっていたそうです。
ある晩、松吉は狐の嫁入り行列にでくわして、そのあとにそっと着いていくと、その花嫁を迎え入れたのが小太郎で、喜んだ松吉は、お祝いに油揚げをどっさり供えました。ちょうどその頃、松吉にも縁談が持ち上がったて結婚し、春には小太郎も松吉も子供を授かりました。
そこで松吉は「これはきっとお稲荷さんが私を護ってくれたのだ」と考えて、お腹の大きなおイネ狐を彫ってもらったといいます。
これが稲荷神社の前にあるおイネ狐の像で、今も、妊婦さんがおイネ狐のおなかをさすると安産になると伝えられています。
社殿
入口の鳥居です。
狛狐さんがいらっしゃいました。
途中、左側に不思議な石が・・・。
稲荷神社の拝殿です。
お参りしました。
稲荷神社の前に、おイネ狐さんがいらっしゃいました。
石像に祈れば、良縁と子宝に恵まれるそうです。
また、おなかをさすれば、安産の疑いなし、と伝えられているそうですよ!!
椋白龍社
祭神
白龍大神
(大願成就、財運向上、水商売守護、疫病除け、開運方除)
御由緒
昭和三十年に創建
六甲山の麓を流れる布引渓流(日本名水百選)を源とする生田川の中流に、「布引の滝」(日本名滝百選)があります。
「布引の滝」は華厳の滝、那智の滝とともに三大神滝とされ、既に平安時代には歌集「伊勢物語」「栄花物語」などで和歌や文学の舞台となっていました。
なかでも雄滝の滝壺の底は「竜宮」に通じているとされ、ここに住まわれる乙姫様が龍神に姿を変えて海に泳ぎ出でたという伝説が、はるか古代より伝えられていたといいます。 当社の神域は「布引の滝」が生田の川となって海へと達する「龍神様の道」にあたり、境内の椋の木(むくのき)は、龍神様が宿る御神木としてお祀りされていました
二宮神社の鬼門を守る白蛇が夢に現れ
「社を建て祀ってくれれば天界に昇り、龍となり人々の願いを叶えよう」
といっているとの話が相次いで神社に寄せられ、時を同じくして参拝者より椋の木に白蛇がいたという声が寄せられました。
そして、遂には手水舎改修工事の際、宮司をはじめ工事関係者の目前にも白蛇が現れたことから、これは夢に従うべきとして、椋の木の袂に社を築きました。
社殿
稲荷神社の右隣です。
訪問時はご神体を稲荷神社の中に遷してありました。
それがこちらの写真です。
御朱印
二宮神社の御朱印です。
拝殿手前・左側に社務所がありました。
地図・住所
地図
〒651-0093 兵庫県神戸市中央区二宮町3丁目1−12 二宮神社
行き方
こちらでは、三宮駅からの目印をお伝えします。
まず、三宮駅を北側に出て、JR線・阪急線の北側を東へ歩きます。
こちらの建物が後ろに見えたら、左側(北側)へ進みましょう。
こちらの角が見えたら、右に曲がります。
下記の写真であれば、奥側からやってきて、左に曲がることになります。
最後に
二宮神社は如何でしたでしょうか。
稲荷神社の子授け・安産のおイネ狐、椋白龍社の夢の話。
とても興味深かったです。
特に、二宮神社が龍脈!?の通り道に位置する、という部分。
とっても、多くのいい気を頂けそうじゃないですか!?
気になったら、二宮神社を訪問してみましょう!!
では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!
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