はじめに
奈良、吉野山の吉野水分神社を訪問しました。
水分と書いて、「みくまり」と読みます。
上千本の一番上に位置しており、ここをゴールに下千本から歩いてきました。
奥千本は、ここからも約1時間かかります。
神社なのですが、とても不思議な構造になっており、神仏習合の名残り(=寺に近い)を強く残している神社です。
「みくまり」→「みこもり」と音から連想され、古くから子授けで有名だったようです。
豊臣秀吉がここを参拝したのちに、秀頼を授かっています。
本殿が秀頼寄進というところに、繋がりを感じますね。
御祭神
主祭神:
天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)
水の分配を司る神です。
日本神話では、神産みの段でハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ両神の子として天水分神(あめのみくまりのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)が登場しています。
配祀:
高皇産霊神:天地開闢の時、最初に天之御中主神(あめのみなかぬし)が現れ、その次に神産巣日神(かみむすび)と共に高天原に出現したとされる。天忍穂耳命(あめのおしほみみ)が、高御産巣日神の娘である万幡豊秋津師比売命(よろずばたとよあきつしひめ-)と結婚して生まれたのが天孫邇邇芸命。
少名彦神:『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子
御子神:神社において親子関係にある神が祀られる場合、子に当たる神
天津彦火瓊瓊杵命:天孫降臨、ニニギノミコトです
玉依姫命:神武天皇の母
天萬栲幡千幡比咩命:高皇産霊神(高木神)の娘
社格、由緒
社格
式内社で、旧社格は村社。
現在、 『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として世界遺産に登録 されています。
由緒
葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されてきた。
また、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めている。
創建については不詳。
訪問記
鳥居・手水舎・楼門
鳥居と楼門が同時に見えます。
鳥居を階段下から見た風景です。
鳥居をくぐると、手水舎があります。
水受けがちょっと変わっていますね。
楼門です。
楼門の間から桜が垣間見えます。
とてもキレイです。
楼門の内側です。
楼門のすぐ右手にふくろうが止まっていました。
拝殿
拝殿です。
とても古いことが分かります。
行基さんが座っていました。
神仏習合の名残がところどころに見られます。
何の装束かはわかりませんでした。。
通常、神職さんがお祈りするところと思いますが、本殿は逆です。
こちらも、何か不明でした。
拝殿と幣殿の間にありました。
拝殿と楼門です。
幣殿
子守大明神が祀られています。
子守大明神が祀られているすぐ右に、お神輿が置かれていました。
幣殿と本殿の間にも、神様が祀られています。
本殿
本殿です。春日造になっています。
正面の3箇所に破風があり、中央に春日造、左右に流造の三殿を横に繋げた形の特異な形式になっているようです。
中央だけ、開いていました。
拝殿・幣殿・本殿です。
中々に珍しい構造になっています。
本殿の右側に、また小さいお社?があります。
御朱印
拝殿にいらっしゃる方に声をかけて御朱印を頂きました。
地図
〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町大字吉野山1612
近鉄吉野線吉野駅より吉野ロープウェイ乗り換え「吉野山」下車、徒歩約1時間30分。
または吉野山駅からバスで23分の「奥千本口」下車、徒歩15分。
最後に
奈良・吉野の吉野水分神社を訪問しました。
今回の旅の終着地(折り返し地点)でした。
神仏習合の名残は多くあり、また、扉が閉じている神様?が多くありましたが、春日造の本殿がとても印象的でした。
また、中に咲いていた桜と古い建物がとてもマッチしており、清々しい気持ちになれました。
途中までバスで行くことも可能ですので、是非訪れてみてください。
では、皆様にもよいGOENを!
当神社は、元来は吉野山の最奥部、吉野町、黒滝村、川上村の境に位置する青根ヶ峰に位置したとされる。
青根ヶ峰は吉野川の支流である音無川が東へ、喜佐谷川が北へ、秋野川が西へ流れるなどの源流となる山で「水分 = 水配り」の神の鎮座地にふさわしい。
大同元年(806年)ごろに現在地へ遷座した。
延喜式神名帳では「大和国吉野郡 吉野水分神社」として記載され、大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。
前防家が社家。
平安時代中期ごろから「子守明神」と呼ばれるようになった。豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれる。
現在の社殿は慶長10年(1605年)に秀頼によって創建されたものである。