(兵庫)湊川神社を訪問。坂本龍馬や高杉晋作など維新志士にも影響あり!!楠木正成を祀る神戸3社の1社(RX100 M7)

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はじめに

神戸八社巡りをしていた途中、湊川神社を訪問しました。
湊川神社は明治に創建された神社で、橿原神宮等と同時期に建立されています。

神戸の中では生田神社・長田神社ともに3社巡りとされています。
既に当ブログでは両神社を紹介しているため、下記の記事をご覧ください。

湊川神社の祭神は、楠木正成公です。
太平記で読んだ、南朝側天皇に仕えた忠臣とされます。
(NHKの大河ドラマで、武田鉄矢さんが演じられていたのを覚えています)
私のイメージは、ゲリラ戦法が得意な武将です。

ちなみに、神戸七福神巡りのスポットでもありますが、七福神がいらっしゃいません。
どういうことでしょうか!?

では、湊川神社を見ていきましょう。

※神戸8社巡りの総集編はこちらで公開します。
併せて是非ご覧ください。

御祭神

主祭神

楠木正成公(大楠公)

楠木家は河内の豪族。(数代遡ると駿河の出自で北条得宗被官であったという説もあります。)
楠木正成公は、永仁二年(1294)、河内国赤坂(大阪府千早赤阪村)の生れです。観心寺の僧龍覚坊に学問を、兵法は毛利時親に師事し、文武両道の立派な若武者に成長されました。

北条氏が実権を握る政治が徐々に乱れ、世の人々の不満がくすぶりはじめていました。乱政を嘆き憂いていた後醍醐天皇は元弘元年(1331)正成公を避難先の笠置山に召し出され、正成公は、力の限り国のために尽すことを誓われました。

正成公は急拵えで下赤坂城を築き、幕府相手に奇策智謀の数々で奮戦しますが衆寡敵せず。正成公は城に自ら火を放ち、戦死したと見せかけて秘かに落ち延びる作戦を取ります。

死んだと見せかけた楠木正成公は千早城に挙兵します。わずか千人ほどの楠木軍。権謀の限りを尽くした籠城作戦に数万の幕府軍(北条方)は翻弄され、更に大軍を注ぎ込んでも攻め落とせません。その奮闘に勇気を得て、各地の武士達は打倒鎌倉幕府、と蜂起しました。

しかし、足利尊氏は自分が将軍となって再び武家の政権を復活させようと、叛旗を翻します。正成公は足利の大軍を打ち破るための献策をしましたが、浅はかな公卿等の反対により、取り上げられませんでした。

正成公は、決死の覚悟で兵庫に出陣されます。
足利尊氏と湊川の合戦にて敗れ、戦死します。

配祀

楠木正行公(小楠公)

楠木正成の子息。小楠公と呼ばれています。
楠正成の死後も南朝側として戦い、河内の四條畷の戦いで破れて自刃します。

楠木正季卿

楠木正成の弟です。
湊川の戦いで敗北し、正成と共に自刃します。

死に際に正成が正季に九界のうちどこに行くことを願うか問うと、正季は「七生マデ只同ジ人間ニ生レテ、朝敵ヲ滅サバヤトコソ存候へ」と答えたという。これはのちの「七生報国」の語の由来になった。

一族郎党、15柱

楠正成の家臣・一族郎党とされている方々です。

江田高次命・伊藤義知命・箕浦朝房命・岡田友治命・矢尾正春命・和田正隆命・神宮寺正師命・橋本正員命・冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命・宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命・南江正忠命

菊池武吉

兄の武重と共に新田義貞の軍勢に加わり、東上してきた足利尊氏の軍勢を兵庫にて迎撃するも湊川の戦いで敗北します。

湊川の戦いで敗北した際に、逃げようとすれば逃げることができたとされていますが、楠木兄弟が自刃するのを見て、共に自刃したとされています。

本殿合祀:甘南備神社

大楠公夫人

楠木正成公(大楠公)の夫人を祀っています。
「甘南備」の名前は没地の地名によるそうです。

御由緒

こちら、湊川神社のホームページ(https://www.minatogawajinja.or.jp/)です。ご覧ください。

社格

旧別格官幣社
別表神社

御由緒

創建

明治5年(1872年)5月24日

創建の由緒

楠木正成公は後醍醐天皇の勅命を受け、鎌倉幕府の勢力や新たに武家の政権を立てようとする足利高氏と戦って正義と忠誠を示されました。
しかし延元元年(1336)に、この湊川の地での足利軍との戦(湊川の戦い)で自刃されました。

その後地元の人々によって、この地に葬られていた正成公の塚(お墓)は大切に守られてきましたが、江戸時代に入り、正成公を非常に崇敬された徳川光圀公によって立派なお墓が建立されました。

このお墓の建立後は正成公を慕い、その精神を拠り所とするため、多くの人々が参詣し、特に幕末には吉田松陰や坂本龍馬など、志士達が訪れました。

幕末、維新志士たちは、武家政権を倒し天皇親政を実現しようとした南朝の忠臣らを自らに重ね、彼らを理想とした。特に楠木正成はその忠臣の筆頭に挙げられ、多くの維新志士が彼の崇拝者となり、その祭祀を行った。

※吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎、西郷隆盛、坂本龍馬など・・・

明治元年に明治天皇がこの地に神社創祀の御沙汰を下され、明治5年に創建されました。

日本初の別格官幣社

別格官幣社に代表される、功績のあった人物を神社に祀る風習のさきがけとなるなど、近代神社史上、無視できない重要な位置を占めることとなる。

『太平記』に記される楠木正成・正季兄弟自害の逸話に基づく「七生」は後代に「報国」の意味が加わり「七生報国」となり、戦時中のスローガンとなった。戦災で社殿を焼失したが、戦後復興している。

神戸七福神

湊川神社の七福神は、毘沙門天とされます。
しかし、毘沙門天はどこにもいません。どういうことでしょうか!?

実は、主祭神である大楠公(楠木正成公)自身が毘沙門天とされています。

それは、母君が生誕前に霊峰・信貴山に日参し、ご本尊の毘沙門天に
「御心あらば、良き子を授け給え」とお祈りしていたこと。
夢のお告げで、子供を授かったこと。
毘沙門天の別名である多聞天にちなみ、幼名が多聞であったこと。
そして、毘沙門天のごとく活躍したこと。

そのため、本殿にお参りすると自然と七福神にも参拝していることになります。

訪問記

表神門~参道

表神門

湊川神社の表神門です。屋根が3つ重なっています。

門をくぐると、地図が出てきます。

参道です。一直線に参道が整備されています。
後で知ったのですが、写真の左手に「日本最古」のオリーブの木が植えられているそうです。

鳥居

鳥居が参道の途中に建てられています。

鳥居を越えて進みます。

拝殿・本殿

手水舎

湊川神社の手水舎です。
拝殿と色が同じになっていますね。

新型コロナウイルスの影響で使用禁止になっていました。

拝殿に向かいます。

拝殿前の中央には、丸い植え込みがあります。種類は分かりませんでした。
楠木でしょうか。。ご存じの方がいたら、ぜひ

拝殿

拝殿前には、狛犬が離れて置かれています。

拝殿前はとても広くなっています。

湊川神社の拝殿です。

他の神社建築とは異なる印象を受けました。

お参りをしました。
中央が楠木正成(大楠)公、右が摂社の甘奈備神社の祭神・大楠公婦人、左に一族の十六柱・菊池武吉公が祀られています。

社殿の天井には、全国の著名画家から奉納された天井画164点が収められ荘厳で豪華だそうです。
(私は疲労で気づけませんでした・・・)

拝殿右側の写真です。

こちらは左側からの写真です。

楠正成公 所縁の場所

御殉職の地

拝殿のを正面にして左側に尚志館があり、拝殿へ続く廊下があります。

その奥に、楠木正成公の殉節地(戦没地)とされている場所があります。
国の指定の史蹟で、近づくことはできませんでした。。

御墓所

入口(境外)

神社の外の墓所への入口です。
入口の神門の右手に位置しています。

入口(境内)

こちらは、神社境内の墓所へ案内石碑です。

そして、こちらが入り口です。

墓所

墓所への道です。

手水舎は利用禁止となっていました。

こちらが、楠木正成公の墓所です。

お参りしましょう。

こちらが実際の墓石です。
亀の上に墓石が載せられています。

徳川光圀像

水戸光圀公の像です。
1692年に家臣の佐々介三郎宗淳(助さん)を遣わして石碑を建てたそうです。
(「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字も書いたそうです)

そのため、ここに銅像が建てられています。

摂社・末社

遥拝所

伊勢神宮への遥拝所です。

天満神社

祭神:

菅原道真公 学業成就・合格・文芸上達がご利益です

創建:

明治9年に創建され、その後大正11年に正式に末社として認められたそうです

社殿:

入口です。拝殿を正面に右奥に位置しています。
階段を登ります。

牛が座っています。

灯篭の間を進みます。

屋根がついています。お参りしましょう。

こちらが社殿です。
小さめの社殿ですが、その前に狛犬が鎮座しています。

楠本稲荷神社

祭神:

倉稲魂命・猿田彦命・大宮女命 商売繁盛・五穀豊穣

創建:

徳川光圀の墓碑建立以前よりこの地に鎮座しているといわれ、由緒は相当古くに遡るそうです。

鎮座地は幾度か変わり、正門西側に奉遷されていた時代は福原の芸妓衆の崇敬も篤かったといいます。現在の地には昭和28年に移転されたそうです。

社殿:

入口の鳥居です。

途中、狛狐がいらっしゃいました。

横から見ると、このようになっています。

使われていないようでしたが、手水舎がありました。

境内に入っていきます。

中には沢山の提灯が飾られていました。

お参りしましょう。

社殿は屋根と一体になっているようです。

その他

龍の壺など

楠本稲荷の近くに、龍の壺が置いてありました。
これは何か、神社のホームページでも説明がありませんでした・・・。

近くで見たら、龍です。

その他、置物が・・・。
これらは何か不明でした。

ほか

拝殿近くにある、親子さざれ石です。
(夫婦という言い方が多いですが、ここでは親子です)

昭和天皇が実を手蒔きした楠木だそうです。
元々の場所は佐賀だったのですが、楠木が共に県木であるため、兵庫にある佐賀県人会から奉納されたそうです。

神輿庫です。湊川神社ではお神輿のようですね。

御朱印

御朱印など

神社御朱印

湊川神社の御朱印です。

境内社・楠本稲荷神社の御朱印です。

七福神御朱印

KOBE七福神の毘沙門天の御朱印です。

毘沙門天そのものは祀られていません。
神戸・湊川神社では、楠正成公を

楠公墓所

楠公墓所の御朱印です。

社務所

拝殿を正面に、左側に社務所があります。

住所・地図

住所

〒650-0015 兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1−1

行き方

神戸駅のすぐ北側に位置しています。
こちらは、JR神戸駅・北出口からの写真です。

最後に

神戸の神戸駅北側に位置している、湊川神社をご紹介しました。

神戸3社巡りの1社で、他の2社は生田神社と長田神社です。

実は、明治以降に建立された神社は苦手でした。
政策的な匂いが強くて、押しつけな印象を受けていたからです。

だからと言っていかないのは損しているな、と感じました。
維新志士に影響を与えていたのは、殆ど知りませんでした。発生した出来事だけではなく、思想や考えの一部を知る手がかりになるのでは、と感じました。

今回は生田神社の裔社・8社巡りの途中で立ち寄ったのですが、上記以上に雰囲気が良くて落ち着きました。ぜひ、近くに行ったら、立ち寄ってみてください。

ちなみに、8社巡りの総集編はこちらで公開します。
是非ご覧くださいね。

では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デル株式会社

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