(兵庫)舞子六神社を訪問。明石海峡の御朱印や月替わり御朱印のあるセンスの光る神社(α7Ⅲ)

ビックカメラ.com

はじめに

兵庫県・神戸市垂水区にある舞子六神社を訪問しました。
アートな御朱印がある、ということで訪問した神社です。

駐車場がなく小さな神社ではありますが、アットホームで気遣いを感じる神社でした。

御祭神

伊邪那岐尊
伊邪那美尊
・・・言わずと知れた日本初の夫婦になります。ただ、いくつか漢字のパターンはあるようですね。
・・・こちらも同じですね。

+++++++++++ここから4名が兄弟ですね+++++++++++

天照皇大神
・・・高天原を治めるように命じられます。
・・・伊勢神宮の内宮に祀られている太陽神です。高天原を治めるように命じられます。
・・・こちらもご参照ください

素盞男大神
・・・夜の食国または海原を治めるように言われます。
・・・乱暴な神様のイメージもありますが、八岐大蛇を退治してます。
・・・病気平癒(=力強さから)に祀られ、八坂神社の祭神でもあります

蛭子大神
・・・伊邪那岐尊、伊邪那美尊が最初に産み、足が立たないからと海に流されてしまいます。
・・・エビス様の起源となった、と言われる神様です。

月夜見尊
・・・天、滄海原(あおのうなばら)または夜の食国(よるのおすくに)を治めるように命じられます。
・・・天照と対になる神様。
・・・スサノオと同一神とする説もあるそうです。

社格・ご由緒

社格

特に見当たりませんでした。

ご由緒

祭神は明石の岩屋神社と同神であることから江戸時代前期中葉に、岩屋神社より分霊を受け、播州明石郡山田村の総鎮守として六社大明神の社を建て、六柱の神を祀ったのが創始であると推定される。(舞子六神社のWikipediaより

※ただし、創建は、御輿渡御に供奉する金幣の刻銘により、1689年(元禄2年)まで遡ることができるが、神社に関する古記録が失われているので、それ以前については不詳のようです(神社由緒書きより)

明治初期の神仏分離令により明神号が廃止され、六社神社と名所が変わり、1874年(明治7年)2月に列し、六神社と改称し、現在に至っている。(神社由緒書きより)

訪問記

鳥居

国道二号線沿いにありますが、それよりも海側に鳥居が建立されています。

手水舎

鳥居をくぐってすぐ右手側にあります。

花が飾ってあり、とても清潔感のある手水舎です。

拝殿

鳥居の正面が本殿になります。
明治23年に再建されたそうですが、阪神淡路大震災で被災し平成19年10月に修繕をしたそうです。

こじんまりしたお社です。

横から見た景色です。

戎宮、大黒宮

戎さんと大国さんがいらっしゃいます。
旧戎町の浜辺に鎮座されていたとのこと。昭和9年の室戸台風で流失したのち、こちらに遷座されたそうです。

左が大黒さん、右が戎さんです。

それぞれ、戎さんの像と大黒さんの像があります。
(戎さんは、漢字(書き方)が淡路と違いますね)

菅原社・白髭社・稲荷五社・大歳社

4社が合同のおやしろで区切られています。

須賀原(菅原)社と白髭社です。
菅原社の祭神:菅原大神(道真)
白髭社の祭神:貴船大神
→貴船さんは貴船神社、雨に関する神様ですね。

稲荷五社と大歳社です。
稲荷五社の祭神:稲荷大神(お稲荷さんですね)
大歳社の祭神 :豊宇気比賣命(トヨウケビメ、食物・穀物の神様です)

稲荷お松社

山田橋の下に祀られていたお社とのことです。
38年に再建されたようです。

神輿庫、神具庫

お神輿を収納しているようです。

海を臨む

鳥居の前くらいから、海を臨むことができます。

明石海峡大橋も見えます。

御朱印

舞子六神社では、月替わりの御朱印があるようです。
ホームページのブログより)

私が訪問した際は、節分の御朱印でした。

通常の御朱印もあります。
ツアーでもらえた御朱印はこちら。明石海峡大橋がかたどってあります。

他にも2種類の御朱印がありました。
私は、右側の明石海峡御朱印の方が好きですね。

住所・地図

住所

住所:〒655-0048 兵庫県神戸市垂水区西舞子1丁目5−7

最寄り駅

山陽電車「西舞子駅」・・・徒歩2分
JR「舞子駅」・・・徒歩10分

こちらのように、山陽電車が近いようです。

最後に

珍しい御朱印がある、ということで訪問した舞子六神社です。
小さいお社ではありますが、手水舎のように神社を管理している方の心遣いが感じられる神社です。

伊邪那岐・伊邪那美の夫婦にその子供が祀られているのも、色んなご利益を頂けそうですよね。
(6神社の6は、6柱の神様という意味だと思います)

デアゴスティーニ

デル株式会社

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA