(兵庫)諏訪神社(神戸)を訪問。ビーナスブリッジのある山に鎮座する華僑からの信仰も篤い神社(RX100 M7)

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はじめに

生田八宮を巡拝している途中、神戸諏訪神社を見つけたため訪問しました。

創建は仁徳天皇の時代に遡り、とても古い神社です。
しかし、諏訪神社となっておりますが、途中で稲荷神も勧請されているため、稲荷色の強い神社となっています。

また、華僑の崇敬も篤い神社であることから、中華様式も採り入れられておりとてもユニークです。

ぜひ、ご覧ください。

御祭神

諏訪明神

建御名方大神

古事記では、大国主神の御子神とされます。

国譲りの神話において、出雲から諏訪の地へ行きます。
追ってきた建御雷神に対して、諏訪の地から出ないことを約束します。

<私見>
諏訪の春宮・秋宮では出雲色が強いです。
それは、建御名方大神が諏訪の地で融合することができたためと想像しています。

比売神

特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもの

稲荷大明神

宇迦之御魂大神

1778年、万宝院法院の勧進により、伏見稲荷大社から勧請されます。
現状の諏訪神社を見る限り、稲荷神の要素が強いように感じました。

御由緒

社格

郷社

由緒など

創建の由緒

創建は400年頃、仁徳天皇の御代八田皇女の離宮鎮護神として、信州の諏訪大社より奉鎮されたとのことです。創建後、この山を諏訪山と称し、神社所在地の地域は元八部郡中宮村に属していたため、古くは中宮とも称します。

また、稲荷神社として、安永7年(1778)12月に御神託により伏見稲荷大社より大坂奉行所稲荷別当権大増都年行事職万宝院法印等の勧請によります。

崇敬は古来より当地の大氏神とし武門武将の尊信多く、寿永頃(1182~)源義経公が武運を祈ったと伝えられるなどの逸話が伝わっています。

現在では諏訪山のお稲荷さんと親しまれ、商売繁昌、健康長寿の守護神として信仰厚いです。

神戸華僑の信仰

諏訪神社の氏子だけでなく神戸在住の外国人、殊に中国華僑の崇敬者が多いそうで、華僑7千人の大半が崇敬参拝されているとのことです。明時代の偏額も奉納されており、中国式参拝道具も備えられています。

こちが偏額です。
入口右側ですね。日本でいうところの絵馬で、中国式のようです。

本殿前には、線香立てがあります。こちらは中国式の参拝道具の1つです。
また、中国で縁起が良いとされる赤い色の文字で名前が書かれている提灯があります。

本来神社では、線香を上げる習慣はありません。
中国華僑参拝者のために、用意されたものと思われます。

本殿の前には「金亭」と呼ばれるレンガ造りの炉があります(写真左)
「紙銭(しせん)」を焼くための炉だそうです。

紙銭を焼けば、あの世で本当の銭として通用し、祖先があの世で暮らすための生活費や、天・地・水三界の神々への献金などとして用いる。

訪問記

入口・参道

一の鳥居

神戸諏訪神社の鳥居です。

鳥居の下には、遥拝殿があります。
この先を見て頂いたらと思いますが、今後とても長い坂と階段を登って行く必要があります。

鳥居の奥です。何か建てられていた跡だと思われます。
先の震災で何か倒壊してしまったのかも!?

これから坂を登って行きます。
写真でもわかるかと思いますが、とても急な坂であることが分かります。

ニの鳥居

手前の桜が印象的でした。

二の鳥居です。とても大きいですね。

その奥には、狛狐さんが。
諏訪神社、という名前ですが、諏訪の「お稲荷さん」とも言われています。

三の鳥居・参道

3番目の鳥居です。

階段を登ります。

階段の途中にも鳥居があります。狛狐さんもいらっしゃいます。
赤い鳥居と白い鳥居です。

そして、最後の鳥居です。
これで6つの鳥居になります。

ちなみに、6つ目の鳥居の外側に鳥居の跡がありました。
考えられるとすると、阪神淡路大震災でしょうか・・・(真偽不明)

手水舎

手水舎です。

人形が持ち上げています。何か意味があるのか不明でした。

拝殿・本殿

楼門

拝殿の前に楼門があります。

綺麗な楼門ですね。

楼門のアップです。

ちょっと変わった楼門ですよね。

拝殿

拝殿です。手前に狛狐が鎮座しています。
この神社はお稲荷様の方が色濃いようですね。

社殿は寿永3年(1184)兵火にあい、正応3年(1290)中宮村大塚賀左衛門が再建し、その後、再改築があったが、大正13年(1924)に改築した。本殿は流造り、幣殿、拝殿は入母屋造り。

お参りしました。

拝殿の龍がとても印象的でした。

こちら、拝殿を右から見たところです。
とても立派ですね。

本殿

拝殿の奥に本殿が見えました。

こちらは、本殿を含めた裏からの景色です。

稲荷神社

三木稲荷神社

竜宮城みたいな建物が印象的です。

少し中華的な雰囲気もあります。
千と千尋の神隠しで出てきたような建物とか・・・。ゴンチャロフの提灯が印象的です。

鳥居をくぐって正面が三木稲荷神社です。

三木稲荷神社を取り囲むように、沢山の社殿が並んでいます。

こちらは、左側です。
鷹羽社、諏訪益社、水玉社、白月社、志良白社、白龍社、川上社

こちらは奥側です。2・3・2で並んでいました。
八重垣社、武光社、

豊川社、額田社、末廣社

大三輪社、水天宮社

こちらは右側になります。
錦社、諏訪文社、月姫社、諏訪倉社、牡丹社、權倉社、鹿島社

髙儀稲荷神社

祭神

倉稲魂神

御由緒

中央区の山本通3,4丁目、中山手通3、4丁目の守護神で、火伏の神様だったようです。
元は境外末社だったようです。

阪神淡路大震災にも耐えたようですが、その後の2004年の対欧風で倒壊したことをきっかけに諏訪神社の境内に遷座したようです。

社殿

入口です。狛狐さんが鎮座されています。

手前に1社殿、奥に4社殿並んでいる神社です。

手前に鎮座している五社稲荷社です。
祓戸社的な役割でしょうか!?

4社の社殿です。
左から、咳療大神、猿田彦社

左から、高儀稲荷社(一番大きく、高床式ですね)、口患大神

白蛇社

本殿正面に左側です。
小さなお社が鎮座しています。

榊丸大明神、光國大明神

入口の鳥居です。

社殿です。

玉姫稲荷

由緒

「おさすりいなり」と呼ばれており、明治初期に玉姫信者により建立されたそう。
あらゆる願望成就のおいなり様として信仰を集めているそうです。

東京の台東区にも玉姫稲荷があり、1333(正慶2)年に新田義貞公(新田神社の御祭神・新田義興公の父)が、鎌倉の北条高時追討の折に当社で戦勝を祈願し、弘法大師直筆という稲荷大神の像を瑠璃の玉塔に奉納したことが「玉秘め」の社号の由来となった神社があるようです。

社殿

6つ目の鳥居や手水舎の壇に鎮座しています。
お社の周りが豪華ですね。

お社です。

奥宮

本殿から奥宮へ繋がっているようです。
私は訪問時に知らず、たどり着けませんでした。

皆様の参拝の際にご参考に記事として残しておきます。

ビーナスブリッジへの登山道

諏訪神社から20分ほど歩くとビーナスブリッジへ辿り着きます。
本殿右手の方に道があります。

登って行くと、ビーナスブリッジです。
ビーナスブリッジからの景色は、こちらを参照ください。

御朱印

神戸諏訪神社の御朱印です。

地図・場所

〒650-0006 兵庫県神戸市中央区諏訪山町5−1

三宮より市バス6・7系統で「諏訪山公園下」下車
市営地下鉄「県庁前」より北へ徒歩約10~40分(県庁前からの行き方は、下記参照ください)

最後に

神戸元町の山手、諏訪山に位置している諏訪神社をご紹介しました。

古くは仁徳天皇時代に信州の諏訪大社より神様を勧請し創建されましたが、途中で稲荷神社も勧請されているため、稲荷神社の色合いがとても濃い造りとなっています。

また、神戸元町・中華街が海側に位置していることから、華僑からの崇敬が篤く線香台が置かれているなど、中国様式が神社に採用されています。
他の神社にはない、とても変わった特徴で、神社の境内も不思議な雰囲気です。

ぜひ、訪問して確かめてみてください!!

では、皆様にもよいGOENを!
そして、1日でも早く旅と写真が楽しめる日が来ることを!

デル株式会社

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