はじめに
東国三社のうち、息栖神社を訪問してきました。
これで2社目になります。2000年以上の歴史のある由緒ある神社でした。
※東国3社巡り
鹿島神宮
香取神宮
東国3社巡りバスツアー
御祭神
久那戸神 (くなどのかみ、岐神)
→鹿島神・香取神による葦原中国平定において、東国への先導にあたった神様です。
相殿神として、
天鳥船命 (あめのとりふねのみこと)
→『古事記』では、建御雷神の副神として葦原中国平定に赴いたと記されます。(Wikipediaより:リンク)
住吉三神 (すみよしさんしん)
が挙げられています。
いづれにせよ、海に関係が深い神様ですね。
鹿島神宮のお祭りでも、息栖神社が先導をしていることや、元々が入江だったことから交通の要所だったのだと思います。
昔の早い移動手段と言えば海を船で移動すること、ですからね。
社格と由緒
社格
旧社格は県社になります。
そして、鹿島神宮の敷地外の摂社となります。そのため、鹿島神宮の鳥居が社の目と鼻の先にあります。
由緒
社伝では、第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたという。その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝える。
どうやら元々の場所から移されたようで、この三角形を意図的に構築したのでしょうか。
(関東三社の三角形:リンク)
もう1つ由緒書きがありましたので紹介します。
訪問記
では、息栖神社をご紹介します。
1)息栖神社境内
息栖神社の入り口です
境内の案内図があります。
少し進むと、稲荷神社が鎮座しています。
今回は時間がなく、ちゃんとお参りできず残念でした。
境内を進みます。
稲荷神社を過ぎると、手水舎があります。
神門をくぐります。
拝殿・本殿です。
後ろから見ると、こんな感じになっています。
その他の境内の摂社です。隣り合っています。
・4柱合祀社:鹿島神社、伊邪那岐神社、高房神社、奥宮
・5柱合祀社:香取神社、手子后神社、八龍神社、江神社、若宮
2)その他境内の見所紹介
では、境内の他の見所を紹介したいと思います。
御神木です。触ることができます。
元々の社殿の礎石です。
招霊(オガタマ)の木です。パワースポットの1つです。
緑の桜とあります。
で、その奥に力石があります。
みや桜です。
その他、芭蕉の句碑がありましたが、省略させていただきます・・・。
3)鹿島神宮一の鳥居と井戸
鳥居をくぐると、もう1つ鳥居が見えてきます。
こちらが、鹿島神宮の鳥居の1つです。鹿島神宮の力の大きさがわかります。
忍潮井といいまして、鳥居の左右から水が湧き出ています。
左の男井戸です。
中の瓶が見えると、いいことがある、と言われていますが光の加減で中々・・・。
右側の女井戸です。
小さなお社が建てられていました。
もとは、港だったようです。
御朱印
小さい神社になりますので、お一人で対応されているそうです。
ツアーで参加していただいたのですが、名前と記入してもらいたい場所を貼り付けて対応頂きました。
お守り
関東三社のお守りのシールをいただきました。これを鹿島神宮でいただいたお守りの息栖神社部分に貼り付けます。
もちろん、ここからスタートすることもできます。
地図
鹿島神宮からは、車で約30〜40分程度の距離です。
が、公共交通機関で訪問するのは、少し厳しいかもしれません。
参考図書
神社百景の息栖神社(関東三社)が出ている号です。
また、定期購読はこちら。
隔週刊 神社百景 DVDコレクション 再刊行版
また、正直、「うーん!?」と感じる部分がなくもないのですが、今回の旅の出発点となった本を紹介します。
筆者は、もともと天孫は関東から東北にかけて国を築いており(青森の遺跡など)、それらの人々が気候変動によって鹿児島(九州)に船で移動した、と主張しています。
その移動により、鹿島と鹿児島の名前が近いのだ、と主張しています。真偽については、かなり強引な印象を受けましたが、今回、関東3社巡りと九州2社(霧島神宮・鹿児島神宮)を回ったきっかけを作ってくれた本です。
最後に
ちょっとした事情で、バタバタとした訪問になりましたが、とても落ち着いた神社でした。
境内に猫がいるらしく(私は見ませんでしたが)、とてもアットホームな神社だと思います。
導きの神様、ということで伊勢の猿田彦神社と同様の役割なのかもしれません。
人生という路を進んで行く上で、安全を見守って欲しいと思いました。
※東国3社巡り
鹿島神宮
香取神宮
東国3社巡りバスツアー
では、みなさまにもよいGOENを!