(茨城)東国3社:鹿島神宮を訪問。意志のある人を応援してくれる神様。(α7III)

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はじめに

東国三社と言われている神社のうち、鹿島神宮を訪問してきました。
ガイドさんにも案内してもらい、色々と見て回ることができました。
鹿島神宮を訪問した際は、ぜひ、ガイドさんをお願いしてみましょう!!(およそ、1.5時間)

※東国3社巡り
息栖神社

香取神宮

東国3社巡りバスツアー

御祭神

武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)

Wikipediaより
『古事記』は「建御雷神」、『日本書紀』は「武甕槌神」と表記されている。別名は「建布都神(たけふつのかみ)」や「豊布都神(とよふつのかみ)」と言われる。『古事記』では、イザナギ(伊弉諾尊)がカグツチ(軻遇突智)の首を切り落とし、剣についた血が岩に飛び散って生まれた3神のうちの1神とする

天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就させたと言われる人物です。そのため、香取神宮とは非常に所縁が深い神様です。

ツアー全体のガイドさんより
鹿島神宮は意思を持った人の背中を押してくれる神様、とのことです。成し遂げたい明確なことがある方、是非訪れてみてください。

社格と由緒

社格

常陸国の一宮になります。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社です。

以前は、神宮といえば、伊勢、鹿島、香取の3社のみという、とても重要な神社です。

由緒

神武天皇が即位された年に、感謝の意をもって勅祭された、ということです。

Wikipediaより
神武東征に際してタケミカヅチはイワレビコ(神武天皇)に神剣(韴霊剣フツノミタマ)を授け、イワレビコはその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝した神武天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。

創建について、鹿島神宮の由緒『鹿島宮社例伝記』(鎌倉時代)や古文書(応永32年(1425年)の目安)では神武天皇元年に初めて宮柱を建てたといい、神宮側ではこの神武天皇元年を創建年としている

以降、伊勢神宮のように20年に一度建て替えがあったり、6年に一度は天皇の勅使が参加する勅祭があったりと、他の神社とは異なる神社であることは確かです。

訪問記

では、鹿島神宮を詳しくご案内します。

1)大鳥居から楼門手前まで

大鳥居です。かなり立派です。

鳥居をくぐった後に、後ろから見た景色です。門前街が延びてます。

近くに、お祭りを掲載しています。かなりの分量です。

鳥居をくぐると、境内案内も掲載されています。

楼門まで、少し参道が延びています。

左手に、手水舎が見えてきますので、清めます。

手水舎の手前なのですが、摂社の遥拝所と末社が鎮座しています。

遥拝所です。

補足説明
ガイドさんに教えてもらったのですが、以前は鹿島参りがあり、それが上記2社を含めたお参りだったそうです。
伊勢参りの流行で廃れてしまったのですが、その名残り、とのこと。

末社1)須賀社
祭神:素戔嗚命

末社2)津東西社
祭神:高龗神・闇龗神(迦具土神を斬り殺した際に生まれた神様とのこと)

末社3)祝詞社
祭神:太玉命(忌部氏の祖だそうです)

末社4)熊野社
祭神:伊弉諾命・事解男命・早玉男命

ちなみに、近くにハート方の楼が置かれています。

2)楼門・本殿

かなり立派で象徴的な門です。神社というより、神仏習合の名残でしょうか。。。

HPより
日本三大楼門の一つに数えられる楼門は、高さ約13m、重要文化財に指定されています。寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されました。『鹿嶋社楼門再興次第記』によれば、三代将軍家光公の病気平癒を頼房卿が大宮司則広に依頼し、家光公が快方に向かった為に奉納されたそうです

楼門をくぐったら左手側に二郎杉という杉が立っています。
境内で2番目に大きな杉。高さ40mで、樹齢は700年になるそうです。

すぐ根元に鹿島アントラーズの寄せ書きが飾られていました。

本殿です。後ろに、御神木もそびえています。

本殿には、かなり立派な装飾が施されています。

御神木も鏡石も地図には掲載されていますが、近づくことはできません。
さあ、いよいよ拝殿、といきたいところですが、その前に1つ。

高房社に先にお参りします。

ガイドさんより
武甕槌大神葦原中国平定に最後まで服従しなかった天香香背男を抑えるのに大きく貢献した建葉槌神が御祭神です。古くから、まず高房社を参拝してから本宮を参拝する習わしがあり、神職さんもそうされているそうです。

さあ、本殿にお参りします。

ブラタモリより
鹿島神宮の拝殿は参道と平行になっていて、とても珍しい形です。これは、本殿が北を向いているため。
大和朝廷が東北地方に対する睨みをきかせるため、と言われています。ガイドさんの説明でもありましたが。

ちなみに、珍しい葉っぱ(木)だそうです。
(名前をど忘れしてしまいました・・・)

3)奥参道1:鹿島の杜・鹿園

さあ、次は奥まで行きましょう。

 

昔、塚原卜伝というドラマの撮影があったそうです。(私はあまり詳しくなく・・・)

ご参考まで・・・。

さざれ石です。

そして、近くに鹿がいます。

ガイドさんより
鹿は神様の遣いと考えられています。奈良にいる鹿は、春日大社を建立する際に藤原氏が鹿島から連れて行ったそうです。

最近に有名になった、角度によってハート形に見える木の枝。
ガイドさんが教えてくれました。鹿園の近くでした。

奥宮の手間に熱田社が鎮座しています。

4)奥参道2:奥宮・要石・御手洗池

奥宮です。慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたそうです。本殿は秀忠でしたね。

裏から見た奥宮です。

奥宮の御神木です。

ガイドさんより
歌手の相川七瀬さんが鹿島神宮が好きで、よくこの樹に抱きついていた(る?)そうです。

なまず封じの石碑です。

要石に向かう参道です。

要石にたどり着きました。鳥居がかけられています。

要石です。なまずの頭を押さえています。
香取神宮にもあり、そちらはなまずの尻尾を押さえています。

ガイドさんより
水戸光圀さんが7日間、みはりをつけて昼夜掘り返そうとしても、都度埋められてしまい掘り返すことができなかったという言い伝えがあるそうです。

いい匂いのする葉っぱだそうです。ただ、名前を忘れてしまいました。。

さて、御手洗池に向かいます。
以前はこちらが表参道で、こちらから鹿島神宮に向かったそうです。

ガイドさんより
年始に200人もの人々が大寒禊をするそうですが、最初に入ったら、最後に出て行くそうです。
とても、寒い役を引き受けることになるんですね。

すくって一口いただきました。これをお読みの方は、ぜひ空のペットボトルを!
(ガイドさんはそのまま飲んでるそうですが、煮沸が推奨されています

ここでガイドは終わりでした。
所要時間1時間半。覚えていないこともありますが(ごめんなさい)、知らないことが沢山で有意義でした。
最後には声が枯れていたガイドさん。ありがとうございました。

さて、御手洗池から近くの大黒社にお参りしていきます。
祭神:大国主命

ここで小腹がへったため、御手洗池近くのお店で鮎をいただきました。

焼きだんごも売られていました。

5)これまでに紹介できていない場所

仮殿です。本殿の前に建てられています。
元和4年(1617)、社殿造営のため徳川2代将軍秀忠公が奉納しました。まずこの仮殿に神様をお遷ししてから、旧本殿を奥宮まで曳いていき、その跡地に新しい社殿を造営したとのこと。

御厨社です。
祭神:御饌津神

祖霊社です。
氏子の方や戦死者を祀っている社です。

祖霊社の隣のお社です。祖霊社の一部と思われます。

そして、入り口付近の稲荷社。
祭神:保食神

 

御朱印

本殿と奥宮の2種類の御朱印をいただくことができます。(両方とも、同じ場所でいただきます)
鹿島神宮は訪れる人も多いため、とてもシステマチックになっていました。
※東国三社の御朱印をコンプリートしてどれかを見せると記念品をもらえます(神社や時期によって異なるそうです)

1)本殿の御朱印

2)奥宮の御朱印

3)御朱印帳
楼門をあしらった御朱印帳がHPには掲載されていますが、鹿をあしらった御朱印帳も販売されており、思わず購入しました。

ちなみに、お賽銭受けもとても可愛らしいものでした。

お守り

東国三社お守りというものがあります。
是非、集めてみてください。
(最初の神社で本体を購入して、残りの神社でシールを購入するようになっています)

地図

1)所在地、行き方

東京駅から高速バスが直通で運行されているようです。
神社HP(リンク)に詳しく載っています。

2)境内地図

HPに詳しい地図とみどころ(リンク)が掲載されています。
こちらおすすめです。(地図は現地でも頂けます)

参考書籍

神社百景の鹿島神宮が出ている号です。

また、定期購読はこちら。
隔週刊 神社百景 DVDコレクション 再刊行版

また、正直、「うーん!?」と感じる部分がなくもないのですが、今回の旅の出発点となった本を紹介します。
筆者は、もともと天孫は関東から東北にかけて国を築いており(青森の遺跡など)、それらの人々が気候変動によって鹿児島(九州)に船で移動した、と主張しています。
鹿島神宮のつくりをみても、東北地方に何らかの政権があった、と考えると鹿島神宮が北を向いている意味合いにも関係はしてきそうです。

その移動により、鹿島と鹿児島の名前が近いのだ、と主張しています。真偽については、かなり強引な印象を受けましたが、今回、関東3社巡りと九州2社(霧島神宮・鹿児島神宮)を回ったきっかけを作ってくれた本です。

最後に

あまりにも見所が多くて、これまでにないボリュームになってしまいました。
これも、色々と教えてくれたガイドさんのおかげです。
一度行かれた方も、ガイドさんにお願いをしてみると、新しい鹿島神宮を発見できるかもしれません。

※東国3社巡り
息栖神社

香取神宮

東国3社巡りバスツアー

では、みなさまにもよいGOENを!

デアゴスティーニ

デル株式会社

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